前回、イングランドは宗教改革に直面し、史実に反してカトリックを固持しました(リンク)。
しかし問題は常に予想もしない方向から起こります。
1550年ザクセンがプロテスタントに改宗し、カトリックである我がイングランドのとの婚姻関係と軍事同盟を破棄しました。対オーストリアの防波堤の一角が崩れました。
そして1551年1月1日、フランスがブルターニュに宣戦布告し、イングランドに参戦を要請してきました。しかもブルターニュは我が属国であるアルトワとミーズと同盟を結んでいます。イングランドがブルターニュに宣戦布告すれば、ミーズとアルトワとの属国関係が強制的に放棄され、我が国の安定度が著しく低下します。しかしフランスの要請を断るのも得策ではありません。
1月7日、イングランドは自らの属国であるアルトワとミーズに宣戦布告します。
そして1553年2月20日、イングランドはブルターニュからの賠償金80ダカット(フランスにはジブラルタルとオルデンブルクの割譲)での講和要請に応じます。イングランドは新大陸を目指したいので無駄な国力を戦争に使いたくありません。
7月4日、カトリックのメアリーが女王に即位します。ここでまたも宗教問題が。
上:イングランド教会に教皇の権威を認めさせる。
中:カトリックを国家としてもっとも優遇する宗教に定める。
下:宗教の自由を認める。
イングランドは宗教的自由を認めます。
その影響で安定度は上がったものの、スペインとの関係が100低下しました(-190)。やばいです。
イングランド国内の宗教でカトリックからプロテスタントが主流になったのでやむなく、1565年12月25日、国教をカトリックからプロテスタントに変更しました。
しかしネーデルラントとフランデレン(フランドル)はバリバリの改革派です。反乱も頻発するので属国として独立させ、軍事同盟を結ぶことにします。
フランデレンの独立
ネーデルラントの独立。そしてこの2国と同盟を結びます。
1566年2月13日、ウェールズ併合法可決。
イングランドの中央集権化がさらに進みます。
1573年1月26日フランシス・ウォルシンガム卿なる人物が登場
(詳細)
ウォルシンガムを登用したことで、ホルスタイン、ケルン、スペイン(!)、スコットランドとの婚姻が成立します。スペインとの婚姻はとにかくありがたい。
ウォルシンガムの活躍(暗躍?)によりイングランドの外交関係は安定しました。1575年の外交状況:
イングランドを敵対視しているのはオーストリアとブルターニュだけです。
イングランドが北米大陸のデラウェアとマンハッタンを発見。
夢の新大陸だ!
1584年4月1日、ドイツにおける我が同盟国ヘッセンがクレーフェ(Kleves)に宣戦布告しました。イングランドもフランス、ネーデルラントともにクレーフェに対して宣戦布告します。イングランドはフランスとネーデルラントに軍隊の通行許可を求めますが、フランスは拒否しました(おっと面従腹背か?注意せねば)。やむなくネーデルラントから遠征軍を進撃させます。
続く11月9日にはかつて我が同盟国であったザクセンがヘッセンに宣戦布告。昨日の盟友が今日の敵。恐るべしユニバーサリス。ザクセンの同盟国であるヴィッテンベルクとスウェーデンも宣戦布告してきます。
せっかく築いた外交システムが破綻しました。
イングランドはザクセンとの戦いに集中するため1584年12月7日、賠償金75ダカットを支払ってクレーフェと講和します。無念…しかし粘り強く戦い続けたネーデルラントが1585年3月1日、クレーフェを併合しました。
1585年8月22日、プファルツとその同盟国(クロアチアとバイエルン)がネーデルランドに宣戦布告します。フランスはこの戦争には加わりませんでしたが、イングランドは参戦します。
1585年8月24日、イングランド軍がザクセン領のひとつを攻略し、11月7日に「引き分け」で講和します(フランスとは11月20日に講和)。残るはプファルツとクロアチアのみ!
1586年11月8日、イングランド軍がプファルツ選帝侯国のプファルツを攻略し、1587年6月15日にイングランドとは賠償金190ダカット、ネーデルランドとはケルンの割譲という条件で講和します。1590年9月18日、ネーデルランドはクロアチアと賠償金190ダカットを条件に講和します。
1593年にはウィリアム・シェークスピアが登場
インフラへの投資が250アップし、安定度も1つ上昇しました。
1609年、イングランドの外交状況:
スペインとの婚姻関係が消滅したのでフランス=イングランドは東西を敵にはさまれています。どうしたものか…
そんな中着々と領土を拡大するネーデルラント
知らぬ間にネーデルランドはフランデレンを併合していました(青い丸)。そして緑丸がプファルツとクレーフェと戦って得た領土です。
イングランドも負けてはおられませぬ。新大陸に植民地を建設します。同じく1609年の状況
赤いのがイングランドの植民地です。カナダからフロリダにかけて広く建設しています。
イングランドは国内のインフラ整備にも力を入れ、プロヴィンスに工場を建設しています。
緑の丸がイベントで得た工場ですが、赤い丸は1000ダカット以上支払って建設した芸術院です。これがあると安定度が上昇します。首都にあるので収入も得られます。
1634年1月6日、国王と議会が衝突!宗教政策と税制において議会と国王が対立しました。
史実では国王が議会を解散して独裁(絶対王政)を行うのですが、拙者はオリヴァー・クロムウェルによる内戦も回避したいですので議会に屈します。
こんな気弱な国王ですが、植民地は拡大していきます。
1634年1月19日の状況:
赤色以外は原住民の国家です。そのうち戦うことになるでしょう。イングランド国王陛下の寵愛を受けるがいい!
1645年1月26日、フランスがブルターニュに再度宣戦布告します。フランスの同盟国は我々イングランドとネーデルラント、ヘッセンです。ヘッセンは参戦しますがネーデルラントは参戦しません。イングランドは参戦します。フランスがブルターニュを併合すると一段と国力がつきイギリスとフランスのパワーバランスが逆転します。そこでイングランドも海峡沿岸を占領し、万が一フランスがイングランドに宣戦布告してきたときの防波堤としたいと思います。
一方、ブルターニュ側にはポルトガルとプファルツが参戦してきました。
ここでイングランドが指向する戦略は各個撃破です。まずプファルツを攻めて勝利し、1646年3月20日に賠償金28ダカットの条件で停戦し、続く8月7日にはポルトガルと賠償金103ダカットで停戦します。残るはブルターニュのみ!
そして1648年4月25日、全土を英仏軍に支配されたブルターニュが講和を申し出てきました。
イングランドには賠償金105ダカットと海峡沿岸の割譲、フランスにはそれ以外の領土の割譲(首都を除く)という条件で講和を願い出てきました。寛容なるイングランドはこれに応じます。
戦争終結後のイングランドの状況:
黄色い枠が今回の戦争により属国ネーデルラントを含めてイングランドが完成させた大西洋の壁です。緑色の枠がイングランドの勢力圏です。
勝利ポイントは
イングランドが1位でロシアが追い上げてきています。
史実において1648年は30年戦争がヴェストファーレン条約によって終結し、カトリックとプロテスタントの政治的対立は終わります。
どうにか宗教革命の嵐を乗り越えました。しかしこれは新たな戦いの幕開けでしかありません。次回に続きます。(リンク)
イングランドに栄光あれ!
楽天だともっと安い店もあるかも。
最近のコメント