天才の栄光と挫折
蟹工船がプロレタリアートの悲哀であるなら(読んでませんが)、こちらは天才数学者の悲哀です。映画のようです。個人的に凹む出来事がありまして、これを読んで復活できました。
あとがきが内容の要約になっているので引用します
これら天才を追う中でもっとも胸打たれたのは、天才の峰が高ければ高いほど、谷底も深いということだった。栄光が輝かしくあればあるほど、底知れぬ孤独や挫折や失意にみまわれている、ということである。
人間は誰も、栄光や挫折、成功や失敗、得意や失意、優越感や劣等感、につきまとわれる。そしてそれは自らの才能のなさのため、と思いがちである。否。天才こそがこのような両極を痛々しいほどに体験する人々である。凡人の数十倍もの振幅の荒波に翻弄され、苦悩し、苦悶している。
天才がこのようなものと知ってから、天才は私にとって神ではなくなった。自ら進んで創造の苦しみを肉体にそして骨にくいこむほどに背負って歩いた人。たまたま運良く、あるいは運悪く選ばれたため、この世にいて天国と地獄を見た人といってもよい。
壮絶だなと。皆さんあまり長生きしてません。
ブレードランナーの人生はロウソクだっていうのを思い出します。
2倍激しく輝けばそれだけ早く燃え尽きる。
数学者は芸術家なんですね。
ニュートンや日本の関孝和を始め、アラン・チューリングも紹介されてますが、面白いのはラマヌジャンの話。
ラマヌジャンは「我々の百倍も頭がよい」という天才ではない。「なぜそんな公式を思い付いたのか見当がつかない」という天才なのである。アインシュタインの特殊相対性理論は、アインシュタインがいなくとも、二年以内に誰かが発見しただろうと言われる。数学や自然科学における発見のほとんビすべてには、ある種の論理的必然、歴史的必然がある。
だから「十年か二十年もすれば誰かが発見する」のである。
ラマヌジャンの公式を見て私が感ずるのは、まず文句なしの感嘆であり、しばらくし
てからの苛立ちである。なぜそのような真理に想到したかが理解できないと、その真理自体を理解した気に少なくとも私はなれないのである。それは誰かが、我が家の柿の木の根元に金塊が埋まっていると予言し、それが事実だった時の気分である。事実は認めても、予言の必然性や脈絡をたどれぬ限り苛立つ。
数学では、大ていの場合、少し考えれば必然性も分かる。ところがラマヌジャンの公式群に限ると、その大半において必然性が見えない。ということはとりもなおさず、ラマヌジャンがいなかったら、それらは百年近くたった今日でも発見されていない、ということである。
数学さっぱりわかりませんが、こう書かれると数学の巨人だということがわかります。
マヌジャンは自分で論文が書けないのでハーディーという数学者が書いていたそうです。映画アマデウスの最後で、モーツワルトがレクイエムを口ずさみ、それをサリエリが楽譜に書いていくシーンみたいです。
最後のフェルマーの定理を証明したアンドリュー・ワイズは良い話で終わってました。
最後の感想:
なせばなる なさねばならぬ 何事も なさぬなら 人のなさぬなりけり。
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