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2009/08/10

日本海軍 400時間の証言 第二回 特攻 やましき沈黙

確かに「やましき沈黙」は海軍だけの問題じゃないと思います。

食品偽装、テレビ番組のやらせ、情報隠蔽みたいな組織的な問題が阻止できないのは、この下の意見が通らない「やましき沈黙」のせいでしょう。

特攻が前線部隊の発意ではなく、海軍軍令部として作戦指導したという話で、参謀たちは止めろと思っていたけど言えなかった、そういう空気ではなかったと言ってました。

ではなぜでそういう空気になり、なぜ下の意見が上に通らないかったか?
という理由には何も言及がなかったです(時間的にも無理でしょうか)。

特攻に関わりながらも海軍を止めなかった将校はそれはそれで責務を全うしようとしたのではないかと思います。自分の意見が通らなければ辞めればいいじゃないかというのは民間企業なら通用するかもしれませんが(自分はそういう人間です。話が通らないなら会社(そこでの自分のキャリア)に未来がないと判断して辞めます。)、国家の存亡を担ってるわけですから、辞めるわけにも行かないと思ったのではないかと考えます。

逆を言えば、負けられないという責任感があったから特攻を一般戦術として使う「統帥の外道」に足を踏み入れてしまったのではないかと思います。

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コメント

「天皇の軍隊」大江志乃夫 昭和の歴史3 小学館
からの抜粋です。

引用始め
>1932年(昭和7)2月、谷口軍令部長のあとをうけて、伏見宮博恭王(ふしみのみやひろやす)が軍令部長となり、以後軍令部令制定による初代の軍令部総長となって、41年4月までの長期にわたって皇族総長時代がつづく。陸軍で閑院宮(かんいんのみや)総長時代が31年12月から40年10月までつづく。陸海軍ともに昭和史の決定的な時期に、長期にわたって皇族総長をおきづづけたことは、軍政・軍令の関係に好影響をおよぼさなかった。とくに人事行政に大きなゆがみをあたえた。当時の皇族の臣下に対する権威は、現在では想像もつかないほど高かった。中略 高級人事は伏見宮の同意がなければおこなえず、伏見宮の信をうしなったものは現役を追われた。
<引用終わり

興味深い意見ありがとうございます。

海軍軍令部が皇族の権威を借りて艦隊整備を推し進めたというのを別のNHKの特集でやっていました。

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