タイムスクープハンター われら時の番人
刻太鼓組の同僚を守る友情に下総の国が泣いた。
時は1807年4月21日、下総国。
城の太鼓櫓、早朝、東の空をじっと見つめている男がいる。空を確かめると、夜明けを告げるための太鼓を打つ長倉文次郎。城や城下町に時を知らせる時太鼓打、いはわば「時の番人」の組頭だ。
夜明けの太鼓を打ち終えると、文次郎は下に降りて香時計をする。香時計とは、お香が燃える長さで時刻を知らせる時計である。専用の台には迷路のような溝が彫られた木枠ある。文次郎はそれにお香を注ぎ入れると木枠を外す。すると迷路のようにうねったお香の細い土手ができている。それに卯、辰と札を差し入れ、お香に火をつける。
他藩では機械時計が用いられていたが、この藩は財政難にあった。
江戸時代の時刻は、不定時法と呼ばれる時間法が使われていた。不定時法とは夜明けと日暮れを基点とし、1日を昼と夜にそれぞれ6等分する時間法である。そのため季節によって一時の長さが変化する。
この時代の日本では、干支と数字で時刻を表していた。九がもっとも縁起のよい数字と考えられており、この事から夜中の子の刻と昼の午の刻を九とし、一刻増えるごとに九を足していく。その下一桁数を時刻とした。辰の刻(子から五番目X9=45)ゆえに朝五つなどと呼ぶようになった。辰の刻であれば、五回太鼓を打つ。
午後になり引き継ぎの斉藤富右衛門が現れた。文次郎が富右衛門に「二十四気は清明より穀雨に変わった」と申し伝えた。二十四気とは、太陰太陽暦で発生する月と実際の季節とのずれを調整するために各季節を六分割した指標で、清明から穀雨に変わったとは、4月20日の穀雨に移ったということである。
昼もの夜も一日中、毎日休むことなく、彼らの仕事は続いていく。この間違いの許されない重要な仕事をたった3人の交代制で行っていた。
翌朝、彼らの上役にあたる鷲津大学が文次郎のところにやってきた。鷲津の話では、昨晩、伊勢六郎太が時太鼓に任じているときに、四つ時を打ち忘れたというのだ。五つの後に四つを忘れて九つを打ったのだった。
夜半、文次郎は六郎太がこの次第を問うと、六郎太は打ち損じだと認め、申し訳ないと謝った。なぜ引き継ぎの時に黙っていたのかと文次郎は咎めた。六郎太はいつの間にか香時計の火が消えていたと言った。それは言い訳にならんと文次郎。二度とかようなことが起こらぬようにと厳命した。頭を深々と下げる六郎太。
立って席を辞した六郎太の足元がおぼつかず、倒れた。文次郎が駆け寄って六郎太を起こす。そこで文次郎は悟った。六郎太は夜になると目が見えなくなるのだ。申し訳ありませんと泣き出す六郎太。なぜ黙っていたと文次郎。そこに富右衛門がやってくる。それは文次郎の心を煩わせたくなかったからだと。
もし文次郎が知れば、鷲津に上申しなければならない。藩の財政も逼迫しており、お役目を果たせない六郎太の時太鼓の役を失うのは確実だった。元々六郎太の家は扶持が少なく困窮しており、役料がなくなれば生活が立ち行かなくなる。
文次郎が反論する。伊勢の家は代々この藩に仕えてきたのだ。そんな家の六郎太が役を失ってはならない。そこで文次郎は考えた。目が見えなくても太鼓を打てれば、鷲津も六郎太を免職にはできない。そんな夢のような方法があるのかと富右衛門。
機械時計だ。
文次郎が答えた。
定刻が来ると鐘を鳴らして時を知らせる。それがあれば目など見えなくても時を知ることができるであろう。
鷲津に機械時計を藩で買うように掛けあってみると言った。翌日、文次郎は六郎太の目のことは言わず、お香が湿気って火が消えたと嘘をつき、藩で機械時計を買ってくれないかと鷲津に頼んだ。鷲津は財政難を理由に拒否した。
当時の江戸城には土圭の間があり、土圭坊主と呼ばれる時計番が50人も詰めていた。
同じ日の午後、太鼓櫓に詰める文次郎のもとに鷲津がやってくる。機械時計の件はなんとかなるかもしれんと、下の階へ文次郎を連れていった。沢嶋が後を追うが鷲津に拒まれる。階段の下で話していたが、すぐに文次郎が顔を真っ赤にして駆け上がってきた。
鷲津が持ちかけてきた取引に文次郎は憤っていた。時刻に手加減を加えろというのだ。まずは明後日の暮れ六に正時より半時ばかり早めに太鼓を打てと。大概の藩士は暮れ六つの太鼓を合図に下城する。それを早くしたら機械時計を買ってもよいと持ちかけてきたのだ。
この取引に文次郎は応じなかった。そんなもの1人の都合でやっておったら、わしらの務めの意味がなくなるであろう。しかも鷲津は今後も登城下城に合わせて、太鼓の音を手加減するように匂わせていた。卑劣な話だと怒る文次郎。
そこに息を弾ませながら富右衛門が階段を駆け上がってくる。安い機械時計を道具屋で見つけたと文次郎に知らせた。
六両二分という破格に驚く文次郎。
鷲津に出してもらえる金額だろうと富右衛門と鷲津と文次郎のやりとりを知らない言った。それは無理だと文次郎は答えた。
ならば自分たちで金を出しあって買取ってはどうかと、富右衛門が提案した。三人で割れば一人当たり、二両とちょっと。出せない金額ではない。六郎太は他の二人が自分の為に出費をさせるが心苦しく断ろうとした。
お主一人のためではないと、文次郎。みんな機械時計が欲しいのだ、気にするなと。
道具屋に行ってみると、すでに僧侶が高値をつけて予約していた。結果、文次郎たちと僧侶は競りになり、最後には文次郎と富右衛門が4両ずつ払い、合計10両で買うことになった。
喜び勇んで機械時計を城に持ち帰った。ありがとうございますと、六郎太は目に涙を浮かべ、頭を下げた。三人は鐘が鳴るのをじっと見守っていたが、鐘はならなかった。不良品ゆえに安かったのだ。愕然とする三人。
もう十分でござると、六郎太。
彼は役目を辞する覚悟を決めた。
これ以上、仲間に迷惑はかけられないと思ったのだろう。
太鼓櫓の窓から沈みゆく夕日を見ていた六郎太が文次郎に向き直り、深々と頭を下げた。
ご迷惑ばかり、おかけしてお詫びのしようも、ございません。
文次郎が六郎太の肩を叩く。
何が詫びるだ。何が迷惑だ。
わしらは同役、輩(ともがら)ではないか。
また泣き出す六郎太。
文次郎が宥める。
一つ大きく息を吸うてみろ。春の良い風だ。少しは気が晴れる。
六郎太は窓に向かい、大きく息を吸い込んだ。
なんの花の香でございましょう。目が見えなくなると、耳や鼻が敏くなると申しますが、あれは正しゅうございました。花の香なぞ、今まで一度たりとも気に留めることさえござりませなんだが、これからは耳と花が生きる縁(よすが)にございます。
そんなに匂うかと、文次郎が何かを得心した。そして階段を降りていって、機械時計を道具屋に返しに行った。
夜更けになって、文次郎はお香を買って帰ってきた。一刻ごとに匂いの違う香を使えば、目が見えずとも鼻で時がわかるというのだ。試みは成功した。文次郎と富右衛門の顔から笑が溢れる。六郎太が一人櫓に登り、一打一打ゆっくりと確実に九つの太鼓を打った。六郎太は一年後に失明したが、役目を勤め上げた。
最新の機械が手に入らずとも、あきらめずに仲間を守った時太鼓打たち。目をみはる技術革新が歴史の1ページを飾る中で、香りが変わる香時計という彼らの小さな発明は歴史には残されてはいない。だが彼らにとってそれは人生を左右する大きな発明であったに違いない。
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あの道具屋、あんな競りみたいな売り方はひどいですよね。ああいう商売の仕方してるといずれつぶれると思います。
途中で何度か映ったお城はミニチュアだったような? 現存する適当な城でごまかしたくないという歴史考証へのこだわり?
投稿: おじゃま丸 | 2010/05/18 12:46
おじゃま丸さん、どうも
バッタモンを競りで売ってはいかんですね。ネットオークションとかどうなんでしょうね。お城が確かにミニチュアでしたね。
投稿: 竹花です。 | 2010/05/18 16:18
線香の火で糸を切り音が出る装置が当時あったそうな
投稿: 夢 | 2016/09/01 10:34
夢さん、どうも
またタイムスクープハンターがあったら線香式タイマーを見たいですね!
投稿: 竹花です(ネタバレありで)。 | 2016/09/01 20:22