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2010/10/14

ブラタモリ 丸の内

丸の内は丸(城)の中で丸の内ですか!

明治時代に作られた鉄道高架に感動です。弱い地盤には杭!

タモさん曰く、高低差が好きなのは、わずかでも昔の地形を覚えているというか、昔の地形がざまあみろと言っているのか、忘れられてたまるかって言ってるのが面白いのだそうです。

ウィキペディアの丸の内より

徳川家康が1590年に江戸城を居所とする前は、東京湾の一部で日比谷入江と呼ばれていた。1592年からこの入り江が埋め立てられて江戸城が拡張された。新たに外堀が作られ、外堀であったものが内堀となったため、御曲輪内(おくるわうち)と呼ばれるようになった。親藩や譜代大名の藩邸が24あったため「大名小路」とも呼ばれた。南北町奉行や勘定奉行の奉行所、評定所も置かれた。

明治維新後、官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などとなった。1890年にこれらが移転したあと、三菱の岩崎弥之助に150万円で売却され、三菱ヶ原と呼ばれた。このため、この地区には三菱グループ各社の本社が置かれ、界隈のオフィスビルは三菱地所が所有しているものが多くなっている。

弥太郎、やりますねえ。大名屋敷は大企業の本社になったと。これも土地の記憶なんでしょうか。

丸の内、四百年前は築地と同じく海で、氷河時代には日比谷公園に川が流れていたそうで、特に低くなってるとのこと。

江戸時代の街区が残っていると言われた、池田(松平)相模守屋敷が幕末期と同じなら、この松平相模守は「因幡鳥取藩主の池田慶徳」のようです(リンク

明治時代に作られた高架に感動しました!ローマ水道ぽいですね。

軟弱な地盤を突き抜けて硬い地盤まで16m以上の杭を1万9千本打ち込んでその上にコンクリートとレンガを積み上げていったって感動です。関東大震災にも戦災にも耐えたんですね。

杭を馬鹿にしちゃいけません。あのヴェネチアも杭の上に建設されてるわけです。詳しくはヴェネツィアを逆さにすれば“森”はある を読んでください。このヴェネチアの工法はローマの橋の土台建設方法に由来するそうです。

地震の際に起こる地盤の液状化にもヴェネチアのパイルド・ラフト基礎なら耐えられるそうです。

二千年前のローマ水道も残ってるわけですから、最後に東京の遺物が残るとすれば、皇居とこの高架かもしれません。

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