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2010/11/18

ぶらタモリ 住宅編

度重なるリサイクルの果てにこのまま終わるのかとヤキモキしていましたが、今度のテーマは特定の場所でなく、東京の住宅の変遷。これはいいです。

脱皮の浅澤と久保田さんも言ってる、青大将の脱皮(笑)「脱皮するなら浅澤」っていう講談もどきがなかなか面白かったです。

変遷の流れとしては

長屋 →東京市営店舗向住宅(コンクリート建築)→団地

     洋館(岩崎邸)→旧安田楠雄邸。

になるのでしょうか。

江戸時代の東京、武士と町人は50万人ずつ住んでいたのに、武士が七割の土地を占有し、町人が使えた土地は1.5割。この狭い土地を有効活用するために生まれた住居が長屋。

長屋住まいって憧れますねえ。北海道では寒すぎますが。お隣りと屋根と壁を共有する長屋独特の様式は棟割りっていうのですね。江戸は火事が多かったので、長屋も3年でもとが取れる安普請で、住む方も隣人が気に入らなかったら気軽に出ていけるっていうは魅力的です。持たないから守る必要がないことの自由。この不況の時代、江戸時代の生活に学ぶことは多いかもしれません。

車輪に靴を挟んでいる写真いいですね。

文明開化後の岩崎邸は一転洋風。ジョサイア・コンドル設計の建築だそうで、吹き抜け階段とベランダが初めて取り入れられた建物なんだとか。ベランダといえば物干しという久保田さん、ナイスです。7時のニュースに出ないときは、ぶらタモリのロケなのかと思ったりしています。ベランダは、もともと強い日差しを遮り、室内の暑さを和らげるために東南アジアの植民地のヨーロッパ人の建物に、東南アジアの建物にヒントをえて設けられたものとは知りませんでした。

和洋折衷の大正時代に作られた安田楠雄邸は、なかなかいいですね。岩崎邸よりは好きですね。玄関が立派なのはお客さんを迎えるための重要な装置なんだとか。そもそも玄関とは禅の用語なんですね(玄妙の道に入る關門)、恐るべしタモさんの博識。

1階には洋風の応接室があります(他の部屋はすべて和風)。応接室は外だから洋風で、他の部屋はウチなのかもと思ったのですがどうなんでしょう。障子の代わりにガラス戸が使われるようになり、ガラス戸は障子より重いので戸車(トグルマ)がつけられるようになったとか。

最上級の客間が2階にあります。これで思い出したのが白洲次郎が戦時中に徴兵をしないで欲しいと陸軍将校の邸宅を訪れた時も、吉田茂と話した時も2階でした。なるほど。

タモさんがある芸人の年取ったときのための平屋の設計してるんだそうで、誰なのか気になりますなあ。

東京市営店舗向住宅は、関東大震災の教訓から昭和3年にアールデコ様式をあしらったコンクリートで作られ、今も使われているほど堅牢だそうですが、東京大空襲では人々の命を救ったそうです。空襲は天災ではなく人災ではありましたが、人の命を救うという意味ではその役割を果たしたわけです。

ひばりヶ丘団地の新規入居者向け映画のナレーションは、確かにウルトラマンとかの時代ぽいです。なんであんな喋り方なんでしょうかね。団地といえばチーズ(笑)。タモさんが初めておばさんが住む団地に遊びに行って初めてチーズを食べたとか。カクテル作ってる光景に驚愕しました。それまで1つの部屋で食事を取り、ちゃぶ台を上げて寝るというそれまでのスタイルから、限られたスペースの中で寝るところと食べるところを分けるために生まれたDK(ダイニングキッチン)もこの団地という構造で生まれたんだとか。

明治維新から現代まで、日本人は住居も生活スタイルも躊躇なく捨ててきた。言われてみればそうだなと。

次回は鷹狩り。なんか高まる!

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