坂の上の雲 第7回 子規、逝く
正岡子規の壮絶なる無念の死。見事です。原作とかなりかけ離れてますが全然いいと思います。原作をそのままドラマにするより面白い。
信じ難いことだが、海軍大学校に戦術講座が設けられたのは、明治35年7月のことである。これでよく清国に勝てましたね。
真之のアシから戦術を学ぼうと思わんでください。っていうのはある意味、教えないで盗めという職人の考え方に近いのかもしれません。
学んだ戦術は所詮、借り物ですありますから、いざという時に応用が利かん。したがって皆が個々に自分の戦術を打ち立てることが肝心であります。然るにまず、あらゆる戦術書を読み、万巻の戦史を紐解いてみる。どう戦えばよいか、原理原則はおのずと引き出されてこよう。
アメリカ一辺倒の経済学者が、「アメリカでは……」みたいな方策では日本経済を立て直せるとは思えません。日銀の金融政策も然り。
大図盤に模型の艦船を並べて行う兵棋演習!明治時代もサイコロでヒット判定やるんですね。昔AXIS&ALIESとかプレイしていたので親近感を覚えます。これアメリカで真之が感銘を受けて真似たものなのですね。
黄海海戦の兵棋演習で両陣営とも被害は甚大、指揮官や参謀として失格だと真之は学生を叱咤します。君らは戦史を読み、その結果だけで判断しとらんかったか?それでは単なる批評にすぎない!飯田君?この艦(ふね)には何名が乗員しておる?吉野1隻で乗員385名。そのことをしっかり考えましたか?
実に我々指揮官が乗員全員の命を預かっておる。すなわち我々が判断をひとつ間違えれば、無益に多くの血が流れる。実戦ともなれば、身を切るような判断を次々と迫られる。苦闘の連続です。アシ自身、己の足らざるに時として戦慄します。無識の指揮官は殺人犯なり。
我々を信頼して死を顧みず、働く部下たちを決して犬死させてはならんのであります。もし自分がその場の指揮官だったらどうするのか。いかにすれば正しい判断が下せるようになるのか。その答えを求めて、皆と一緒に考えていくのがアシの授業です。
いやあかっこいい。
労咳が末期となって正しく骨と皮になった正岡子規。香川照之、デニーロ超えたね。痛々しいほどに痩せこけてます。雨が降って死ぬほどの激痛に泣きながら苦しんで、千枚通しで喉を刺して死のうとするものの、死ねない辛さは、胸を打ちます。
好古は日本が清国に保有する租界の司令官となっていて、西洋列強の租界で西洋風の建物が立ち都会化しているのに、日本の租界は、道路も舗装されず、好古が言うところの「陰鬱」な古い中国のままでした。日本とは辛い国ですなと好古は言い、せめて道普請でもしましょうかと総領事・伊集院彦吉に持ちかけます。経費はかさむし、人でも足りんと伊集院が難色を示すと、日本人は金より体を使うて、なんとかやっていく以外にありませんと、好古自ら道路整備をはじめます。今の日本はこの発想をどこかで忘れてきたんですね。
手勢を温存していた袁世凱が清朝を打倒して中華民国を建国、続いて中華帝国皇帝となるもすぐに滅亡し、その後は日本陸軍にも在籍していた蒋介石が中華民国の総統の座に就きます。袁世凱が政策を誤らければねえ。
真之が最後に子規を最後に見舞ったときに子規が言います。
「淳さんにとって世界は広い。アシには深いんじゃ。ロシアとは戦をするんか?」
「すれば日本人の1割が死ぬじゃろうな」
「そんなに死ぬんか……軍人が戦場で散らす命と、こんな狭い病床で散っていく命は、どう違うんじゃろうな」
憔悴した子規を真之が床に寝かせます。
「ちいとも違わんじゃろう」
「違わんか。どっちもちっぽけな命じゃからのう」
「どっちも掛けがえのない命じゃ」
真之が布団をかけてやります。
床に伏せた子規が真之に部下を死なせてしまった責任を取って坊さんになるかどうかの答えは出たかと尋ねると、真之は出てないと答えます。すると子規はこう言います。
「アシはとっても坊主にはなれんのぉ。病床で痛うてたまらん時は、一刻も早く死なせておくれと叫ぶ。じゃが痛みが晴れると、とたんに頭が冴え、写実の利いた、ええ句が次から次へと浮かんできて、もっともっと生きたいと願う。アシという人間はとことん現金な生き物じゃ」
上着を脱いだ真之が子規を起こしてやる。子規は律が差し出した水差しから(へちまの?)水を飲む。子規が浮腫んで動かなくなった左足を叩いてさめざめと泣く。
「このままでは……死にきれんぞな。アシの目指しとる俳句詠み、正岡子規はこんなもんではないんじゃ……」
「当たり前じゃ」
「淳さんはどうじゃ、淳さんはちっぽけな人間のまま満足しとらんじゃろうな?」
「アホ言うな、アシじゃっていつか、もっと、でこうなってノボさんを追い抜いてやるぞね」
子規がやせ細った腕で真之の刈り上げた頭を撫で回す。
「おう。軍人を続けるか、坊さんになるか。淳さんはちっぽけな人間では耐え切れんほどの課題を背負ってしっかり立っとるけんのう……淳さんはその答えが見つかるまで死にきれんぞな……生きて生きて生き抜いておくれ。アシも死なんぞ、痛うて痛うて畳ののたうち回っても、アシは俳句を詠む。まだまだええ句が浮かんで来よるんじゃ」
子規は真之と額を合わせて泣いた。真之も子規の頭を強く撫でた。
このすぐ後に子規は逝ってしまいます。夜、皆が寝ている間に、苦しまずに。
真之が律を想って結婚するかのように臭わせて、八代の計略により、高貴な出自の稲生季子が真之の病院に現れて、律は身を引くという、嗚呼明治時代の恋。
田舎に引っ込んで畑を耕していた乃木希典のもとを児玉源太郎が訪れます。家族揃って児玉と食事を共にしますが、乃木の息子2人もいます。二人とも日露戦争に出征して……
司馬遼太郎は乃木希典の文学的才能は認めていますが、指揮官としては無能だと糾弾しています。このドラマでは、人徳のあるいいおじさんとして描かれているようです。
ロシアとの現段階での戦争を回避しようとする政府の姿勢が国民には軟弱とうつり、世論は好戦的だったという最後のくだりは、司馬遼太郎も言ってます。尖閣諸島問題もそうですが、世論は好戦的になりやすいですな。
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これまで3人が明治という荒波の時代をどのように生き抜いていくかをテーマとしたドラマの中で、重要な一人である正岡子規が亡くなります。これまで東京・根岸の病床六尺と言われていた子規庵で様々な執筆活動を行ない、いつも人々が集まる場所でした。それによっていつでも暗くならずに済んでいたのかというと、そうでもないようで、やはり苦しいときは死んでしまいたいと思ったといい、見ている方もその苦しみに胸が締め付けられるようでした。 それでも、必死に執筆活動を続けてこれた原動力はどこにあったのでしょうか。秋山真之が訪ねて... [続きを読む]
香川照之はいつもスゴい演技をしますが、今回も最後まで素晴らしかった。15kg 減量したんですね。
ロシアから帰国した広瀬が、原作にもあったとおり黒くなってました。
山口の長府にも乃木神社があって、地元の人は今でも「乃木先生」と呼んでいるのだと、大学のとき旅行中に寄ったとき聞きました。そういう人徳はあったんだと思いますから、今回の描き方はそれなりに納得できます。
那須野村から出征する二人の若者が、今どきどこで探してきたのかと不思議なくらい昔風の顔で関心しました。
最後の街頭演説、佐藤蛾次郎が似合ってました。
投稿: baldhatter | 2010/12/15 23:13
baldhatterさん、どうも
15kgの減量ですか。痛々しい感じが良く出てました。ヘルシアのおかげなんでしょうか。
>ロシアから帰国した広瀬が、原作にもあったとおり黒くなってました。
そういうことはさりげなく出してくるんですね。
地元では乃木先生と呼ばれてるんですね。乃木元帥とか乃木閣下と呼ばれるよりも人徳を感じます。
佐藤蛾次郎!ってびっくりしました。これはすごくハマってました。
投稿: 竹花です。 | 2010/12/16 11:54