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2010/12/20

坂の上の雲 第8回 日露開戦

ロシア帝国への開戦を決意した日本陸海軍が戦争準備を進め、明治天皇の裁可を得るまでの過程が、失礼ながらワクワクします。

最初の習志野の森を馬で駆けるところからカッコイイです。

ナレーション:明治36年初夏。秋山好古少将は騎兵第一旅団長に補されていた。好古が清国の租界での任務から騎兵本来の現場に戻されたのは、日本陸軍が取りつつある臨戦態勢の現れのひとつであった。

いざ開戦となれば、日本騎兵を率いて世界一のロシア騎兵にあたりうる者は好古のほかないというのはすでに定評であった。

好古は日清戦争の頃から騎兵が機関銃を持つことを上申していたが、ようやく取り上げられ、日露戦争勃発直前に輸入された。

騎兵隊が保(ホチキス)式機関砲の実弾射撃訓練をしております!砲手の横で兵士が保弾板を持って弾を機関砲に装填しているカット。なかなかやります。

八代六郎海軍大佐の計略により、稲生季子と真之がついに結婚にこぎつけます。季子の格好が、完全に「ハイカラさんが通る」です。真之が自転車に初めて乗るシーン、ヘタで面白いですが、ああいう風に乗れるのが逆に凄いと。

ロシアの拡張主義と極東の兵力増強を示すCGがうまいです。

欧亜外交地図

をうまく使ってます。ナレーションもいいです。このドラマの渡辺謙のナレーションは秀逸です:ロシアは凄まじい勢いで極東の軍事力を増大させた。その南下の欲望の強さは、帝国主義始まって以来のものである。すでに満州を奪っており、武力を背景とした開発企業は朝鮮北部を抑えている。日本は朝鮮を固執しなければならない。もしこれを捨てれば、朝鮮どころか日本そのものも、ロシアに飲み込まれてしまうおそれがあると考えていた。

好古は沿海州ニコリスクでの露軍大演習を観閲します。そこには圧倒的な軍事力を見せつけて日本を戦わずして屈服させようという皇帝ニコライ2世の意図がありました。

ロシア騎兵の強力さは想像以上のものがあった。正直なところこのような敵と戦って勝には、日本陸軍の3分の1は死なねばならないと思った。

演習後、コサック騎兵との酒を酌み交わした好古が言います。
「君たちには騎士道の伝統があるんじゃろ!でもな日本には武士道があるんじゃ!戦場で会うた時は、お互いに勇敢に戦おうじゃねえか!」
戦士たちが中世以来作り上げてきたこのような心情の、これは最後の時代であったかもしれない。

正岡律が正岡子規の形見分けに、真之の家を訪れた時、ドジョウを季子がさばけなくて律が代わりにやるシーンで、季子が律にたらいの中を見せたとき、「どじょう?」って言うところ笑えます。姑と嫁みたいです。

山本権兵衛が東郷平八郎に連合艦隊司令長官への就任を要請するために舞鶴鎮守府を訪れたとき、山本が乗るボートが海軍艦船を横切っていくシーン、壮観です。

ナレーション:山本権兵衛は海軍建設者としては世界の海軍史上、最大の男の一人であることは紛れもない。彼はほとんど無に近いところから、新海軍を設計し、建設した。日露戦争直前には、巨大海軍ともいうべきものを作り上げ、世界の五大海軍国の末端につらなるようになった。

そして山の稜線から、黒煙をあげて航走している敷島形戦艦が現れるところは感動的ですらあります。

その後の、部下に昼行灯と呼ばれていた東郷平八郎に山本権兵衛が連合艦隊長官就任を打診するときの会話もいいです。
「そろそろでごわんそ」と山本が言うと、
「相手の出方次第じゃな」と東郷が答えます。「頃合いが難しか。辛抱第一でごわんど」
「さよう。釣りは頃合いが大事じゃ。獲物に気取られてはいかん」
そこに鯛は2尾かかります。漁師もしたことがない両天秤じかけで鯛を釣り上げます。まるで日本海海戦(旅順艦隊とバルチック艦隊の撃滅)を予見するようです。

ナレーション:権兵衛は人事においても妙手であった。権兵衛の見るところ、大軍の将帥は片々たる才気だけでは務まるものではなく、全人格がそれにむいているかどうかで、決まると思っている。権兵衛は東郷の周到性と決断力と、そしてなにより従順さを大きく評価していた。

10月30日の日露交渉において、ロシアは日本の案を黙殺し、朝鮮の北緯39度以北を中立地帯にしたいと出た。無論、中立地帯とは名ばかりで、要するに平壌、元山から以北をロシアの勢力下におくというものであり、露骨に言えば朝鮮の北半分は欲しいというのである。この要求は日本を震え上がらせた。

世は開戦論で沸き返るような騒ぎで、ほとんどの新聞が紙面をあげて開戦熱を煽り立てた。さらに日本陸軍にとって重大な事態が起こった。参謀次長田村怡与造が急死し、(内務大臣だった)児玉源太郎が後を引き継いだのである。

児玉の作戦家としての名は、すでに各国武官の間に聞こえていた。この人事が公表されたとき、日本は対露戦を決意したという情報がそれぞれの国に打電された。

秋山真之は連合艦隊作戦参謀に就任します。東郷は対露作戦の立案者として秋山真之を選び、日本海軍の命運の一端を真之が担うことになります。

そのあと真之は好古と母が住む千葉・習志野の邸宅を訪れます。

作戦参謀になったということは対露作戦の成否が真之の双肩にかかっているのなだと好古が言うと、真之は荷が重すぎると弱音を漏らします。お前らしくもない、喧嘩は得意中の得意だろと好古に言われると、喧嘩と違って戦は命が懸かっていると真之が反論すると、お前はアホかと怒鳴られます。

好古は万年筆と名刺を娘にもってこさせると(娘・息子には口調が優しい)、一筆したためて真之に渡し、肌身離さず持っておけと言います。

這回の役(今回の戦)一家全滅すとも怨みなし

「アシはこの覚悟でやる」
真之を見る好古の双眸に強い決意が現れています。しかし家族には死ぬ覚悟を見せない配慮が好古らしいです。

好古にとって今回の戦役に対する決意は、兵士の命が懸かってるから作戦参謀は荷が重いとかそういうヤワなレベルじゃないのですね。

その後、兄弟二人で昔のように1つの湯のみで酒を酌み交わすのを見ていると胸が熱くなります。

この後、小村寿太郎がロシアのローゼン公使の回答を「貴国の改定案は逆に韓国の独立、領土保全を危うくするもの」として、はねつける時、文章がフランス語のようです。当時の外交公用語としてフランス語が使われていました。

明石元二郎が鉄男の塚本晋也じゃないですか。この男が敵国内で革命を煽ったおかげで日本は勝てたんですよ。

御前会議で明治天皇が対露戦を裁可しません。天皇家は伝統的に平和主義で、明治天皇と親しい伊藤博文も対露戦を回避したいということが影響していたようです。明治天皇は京言葉のアクセントが感じられますが、確かに明治天皇は京都生まれです。

一方、ニコライ2世も日本との戦争を回避すべく日本に全面的に譲歩するとの返答を極東総督アレクセーエフから東京のローゼン公使を通じて日本側に伝えようとしますが、開戦派の極東総督アレクセーエフがサボタージュしてそれがローゼン公使に送るのを遅らせます。

その間に、英国外務省からロシア皇帝が対日作戦計画を裁可したとの情報を得て陸軍は断行を決意し、明治天皇に開戦を決すべき事態であると奏上。さらにロシア旅順艦隊が大挙出港したとの情報が海軍にもたらされるに至り、明治37年2月4日最後の御前会議において明治天皇は対露戦を聖断します。

突然、いい奴ぽくなったニコライ2世。

悪いのはイギリスとアレクセーエフってことですか。

最後の御前会議の後、伊藤博文が金子堅太郎を呼び出し、セオドア・ルースベルトとハーバートの同窓生であることを利用してアメリカ世論を日本支持に向け、大統領に日露戦争の仲介を求めるようにと無茶な任務を与えます。だじろぐ金子に伊藤が言います。

「陸軍も海軍も、金の工面をする大蔵省も誰もロシアに勝つという見込みを持っておらん。頼みの綱はアメリカじゃ。もしロシア軍が海陸からこの国に迫った場合、わしは往年、長州の力士隊を率いて幕府と戦ったことを思い、銃を取り、兵卒になってロシア上陸軍を防ぎ、砲火の中で死ぬつもりじゃ」

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コメント

はじめて、放映当日に見ました。

ニコライ二世が全面譲歩の書状を送ったというのは、たしか原作には出てきませんでした。原作発表以降に出てきた事実のようですが、真偽のほどは判っていないとか。

> これは最後の時代であったかもしれない

原作の地の文で好きなところのひとつです。本作は全体にそうですが、地の文をドラマに織り込むのが巧いです。

baldhatterさん、どうも
>ニコライ二世が全面譲歩の書状を送ったというのは、たしか原作には出てきませんでした。
そんな気がしてましたが、やはりそうでしたか。ニコライが止めようとしても止まらなかったでしょうね。

> これは最後の時代であったかもしれない
ノスタルジックないい言葉だと思います。

>「貴国の改定案は逆に韓国の独立、領土保全を危うくするもの」

当時、韓国という国はあったのでしょうかね、、、。
それまでは朝鮮と言っていたかと思いますが何か意図的なものを感じますね。

どうも
おっやるとおりで
1897年から大韓帝国という呼称になりました。
本来なら「大韓帝国」とすべきだと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E5%B8%9D%E5%9B%BD

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