都条例に集英社も怒る
石原都知事は愛国者というよりファシストですね。
集英社も怒っております。
何よりも不愉快なのは、一般の読者は「有害コミック」に影響を受けて悪いことをしでかすはずだという思い上がりです。「国民の判断力を信じられないのならば、あなたたち政治家が国民の投票で選ばれていることも疑うべきではないか」と言いたいです。
http://twitter.com/Shueisha_int/status/13263217098756096
ヒトラー率いるナチスドイツが退廃芸術を禁止したのに似てますな。ウィキペディアの退廃芸術の説明ですが、この退廃(近代芸術)を漫画やゲームに置き換えても成立すると思います。自分たちに理解出来ない娯楽や芸術が出てくると、精神が弱いという意見が必ず出るんですね。
ノルダウによれば、芸術家は過密する都市や工業化など近代生活による犠牲者であり、こうした生活によって脳の中枢が冒された病人とされた。
ノルダウがこの著書のインスピレーションを受けたのは精神科医で犯罪学者のチェーザレ・ロンブローゾの1876年の著書、『犯罪人論(L'uomo delinquente)』であった。ロンブローゾは膨大な異常心理者やその身体的特徴を調査することにより、人々の中には、隔世遺伝的に原始人状態の人格の特徴が現れるために近代社会に適応できない人物がいることを科学的理論によって結論付けようとし、犯罪者の中には「生まれながらの犯罪者」が存在することを証明しようとした。
ノルダウはロンブローゾの理論に基づき、近代の芸術家もまたロンブローゾのいう「生来的犯罪人」同様、原始からの隔世遺伝的な退廃に冒され、身体的・精神的な異常を抱えていると断言した。彼にすれば、音楽、詩、文学、視覚芸術などあらゆる形式の近代芸術には、精神的不調と堕落の症状が現れていると見えた。近代芸術家たちは身体の疲労と神経の興奮の両方に苦しめられているため、すべての近代芸術は規律や風紀を欠き、首尾一貫した内容がなくなっているとした。ノルダウは特に印象派絵画、フランス文学の象徴主義、イギリス文学の唯美主義に攻撃を集中した。象徴主義の中の神秘主義思想は精神病理学的な産物であり、印象派画家のペインタリネス(絵画表面のありよう)は視覚皮質の病気の兆候とされた。
村上隆のマイ・ロンサム・カウボーイ
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なんかもう脱力ですわ。
漫画家のなかにすら赤松健みたいな危機感のない人間がいる始末だし、今すぐにナチ染みたことにゃならんでしょうが、やがては「別に規制されたって漫画家や編集者は規制されない描き方を工夫するから(笑)by赤松健」なんてずれた妄言で流せないとこまでいくかもしんないし。
フィギュア16億円でしたかww
個人的にそれを莫大な金でものにしたどこぞの金持ちは物狂いか金を持て余し過ぎての気紛れか陶酔か見栄か…としか見れないですけど、重要なのはそう見られてるもんでも芸術の価値を見出すことは出来るのであって、美や芸術はある時代の常識や知識層のみが独断することでは決してないんですよね。
石原さんにせよその他の規制派にせよ、創作を「貴賤」の二元論で定義して勝手に序列づけて…ごう慢。
集英社等が指摘する「規制派の人間は漫画を読むことの悪影響を主張するが、自分自身の精神や人格についてだけはその範疇にないと信奉し断言する傾向が強い」というのは全くそうで、基本的にエリート意識が高じたクソ差別思想が熱烈なまでの発露を求めてるだけなんでしょう。
こんなつまらん連中の成果リストのダシにされる漫画及びその制作・出版関係者さん方には同情するし、ひとりの漫画好きとして、こんな如何様にも運用できる条例が施行されたせいで見えない形でも自由な活動が抑えられていくんだと思うと、いたたまれないなあ…
極端な話、エロ漫画の中にだって熱いのや哲学的なのあったりするんですけどねえ。エロだからこそ描けるものもあるし。
エロ以外の方法でエロを描けってのかと。砂糖も卵も小麦粉も牛乳も使わずにケーキ作れってのかと
キャノン先生とばしすぎって漫画なんかはロリコンの恋愛を描き、エロ好きや漫画好きっていうマイノリティへの偏見や差別に苦悩しながら人生に活路を見いだそうとする、ある意味で今日の規制を暗示していたようにも感じられる面白い漫画でした。
子供に有害だの言うなら、現行法の運用で住みわけすりゃいいし、素直に差別意識があるから成人指定も含めてやがては規制しまくりたいで〜すって言えよ

児童ポルノ規制議論で何故かやり玉に挙がりがちな漫画の筆頭・コミックLOの表紙イラストで知られる、たかみち先生の画集なんかもいずれ年齢制限つけられたりして…
その画集を持ってますけど中には裸体の少女も数点あって、ああいうもんを規制派が健全(エロス)なるものと取るか退廃と取るかなんて解り切ってるし、何でジジババの主観が正義づらでまかり通るんだよって脱力しそうです。
余裕とか寛大さがない。
有吉さんはうまいこと言ってましたよ。
「石原さんは自分のちんこが勃たなくなったからって漫画を規制するな」と。
ほんと殿様かっての。
文学者として、凶暴かつ繊細な感性は廃れてしまってるのかと言いたい。
投稿: 藤咲 | 2010/12/14 05:44
藤咲さん、どうも
自分も16億円では買いません。面白いとは思いますが、フィギュアを集める趣味がありません。ピカソの絵もポスターで十分です。
>エロ以外の方法でエロを描けってのかと。
そもそも社会は人工的なもので、してはいけない決まりごとをそこに帰属する人々が守ることで成立していますが、いかんせん人間の深層心理は必ずしも社会的ではない部分があり、それを何かしらの形で満たさなければ、逆におかしくなるんじゃないかと思います。
お祭りは羽目を外すためにあった部分もあったようです(行き過ぎは問題だと思いますが)
http://www.geocities.jp/showahistory/book/note06.html
それと盆踊りには、地方によっては性的な匂いもあった。「祭りの晩に」という戦後流行歌でもよく見られた歌詞やフレーズの意味するところは、夜更けて盆踊りの踊り手の輪から離れて意中の娘と奔放な野外セックスをというような事である。
レイプ事件が多発したのも盆踊りの晩であったというのも当時の警察の常識でもあった。福島の盆踊りでは「会津磐梯山」の歌が、子供が寝静まる深夜になると「朝寝朝酒朝ボボ大好きで」(朝ボボ=女性器=朝からセックスの意味)と歌詞が卑猥なものに変わっていき、元々夜這いが風習としてあった地域では、そのまま夜の濃い闇に紛れてというのがごく自然であったという。
「会津磐梯山」というタイトルは1934年に小唄勝太郎がレコード発売した際につけられたタイトルで、ここから全国的に広まった歌だが、元々は会津地方でオールナイトの盆踊りで歌われた「かんしょ踊り」という無名の歌だった。「かんしょ」とは気違いという意味で、男も女もこの晩は気違いになって…という意味が暗にあったのかどうか。
福島に限れば輪姦が親告罪でなくなって、1959年あたりより警察が農村部でのそうした性的事件にメスを入れるようになってから、この手の風習が公にされ出した。平成のいまならさしずめクラブでナンパ→性行為という手順といっても、これはそんなに簡単に行くものではないと思うが、1950年代までは盆踊りでナンパ→アオカンという図式が、地方青年の一部の間で成立していたのだろう。
強姦は犯罪ですが、盆踊りにはそういう側面もあったようです。そりゃ激しく盛り上がりますよ。
人ぞれぞれ発散の方法は違うと思います。ならばサバイバルゲームをすれば人殺しにつながるのかという話です。野球も他のスポーツも勝ち負けを競います。ワールドカップで狂喜するファンは、相手国を滅ぼうと思ってるわけではないでしょう。
そちら系の写真を持ってるとか(子供が可哀想すぎます)、度がすぎる内容は問題ですが、それを厳密に法的な言語で規定できないと思います。
投稿: 竹花です。 | 2010/12/14 17:10
祭の話、すごくわかりやすいです。
日本って高貴な身分や中流階層より下の国民は昔から性に対しては驚くほどに奔放でしたよね。
一定のルールや暗黙の了解みたいなものが慣習のうちに組み込まれて、昔のひとはその時代なりの価値観で欲求解放をしていたんだと解ります。
強姦含めたリスクもあったと言えるけど、そうした犯罪が催事に集中していたのならそれは逆に普段の日々における犯罪を抑制して、強い欲求や犯罪傾向を持つ人間の受け皿になっていたと見るべきで。
納得はしていないのにパワーバランスで逆らえずにいた女性らも現実に数多いたに違いないことを思うと決して道徳的ではないと思いますが、少なくともいびつながらに捌け口を設けて保たれていた安定、人権保護方面について洗練されてはないけど一定の秩序があったのはやはり否めません。
現実の児童が被害に遭うなんざ僕も胸くそ悪くて仕方がないし、ゆえに実写媒体については明確に悪と位置付けて然るべきだという認識ですが、感情的に児童を守ろうという熱が高まるあまりに二次元という無関係な領域にまで手をのばすならそれは過剰防衛であってかえって危険もありえると思います。
(笑)
過激な漫画やアニメの愛好者がペドフィリアやサディストの予備軍であるなんて認識は短絡に過ぎるし、漫画のキャラと現実の人間ははなから違いますもん。
どっちも「エロいもん見たい!」って欲求の対象にはなるけど、絵に興奮する時の気持ちで実写見ても脳みそが反応しないし、逆もしかりだっての…別にエロに限らず。
ランカちゃん可愛い!って思う感覚と生身のかわいい女性への感覚ってまるで違う。
「実写に萌えはない」って格言はそこらへんを明確に表現してますね。
例えば僕は二次元なら賞味な話でデフォルメされたロリっぽいキャラから劇画にも近い熟女までなんだってOKで、シチュエーションもけっこう幅広く何だってありですけど、それはあくまで頭のなかの話であって現実の女性については最低でも17、8以上くらいでないと性的に魅力を感じることは少ないし、ましてや現実の女性にやばいシチュエーションを切望するなんていうヤバい人じゃない。
さすがに現実に20代で40代の女性や子供にはなんも感じないですし、二次元を読むことにより拡大した嗜癖はあくまで二次元だけでの嗜癖ですもん
だのになんやっちゅうの。
もし仮にある一定以上の割合でホンモノのペドフィリアやその他の反社会的な性質を持ってるひとたちが自らを人の領域に踏みとどまらせる為の防波堤として漫画やアニメをたのみにしている面もかなりあるとしたらそれこそ理想的な枠組みがすでにあるって話じゃないですか。
馬鹿ジジババはそこよーく理解して人道的に尊重しやがれっての。
コミックLOなんかはそこら辺の担い手というか受け皿にもなれればという理念があるし立派ですよ。
現実の子供と大人の両方を真剣に考えられる若い世代の政治家が求められている気がします。
投稿: 藤咲 | 2010/12/14 22:43
藤咲さん、どうも
祭りの話は我が妹の受け売り(のうち確認できた部分)です。
>現実の子供と大人の両方を真剣に考えられる若い世代の政治家が求められている気がします。
そうですね。なってください。
投稿: 竹花です。 | 2010/12/14 23:32