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2011/12/04

坂の上の雲 兵器 陸軍編

坂の上の雲の戦いでいろいろな兵器が出てくるので調べてみました。

①小銃

三十年式歩兵銃(日本軍)

日中戦争、太平洋戦争で使われた三八式歩兵銃の原型。

全長 1280mm
銃身長 797mm
重量 3.96kg
使用弾薬 6.5mm×50 装弾数
5発初速 762m/s

モシン・ナガンM1891(ロシア軍)

全長 1303mm
銃身長 803mm
重量 4.37kg
使用弾薬 7.62mm×54R 装弾数
5発初速 620m/s

明治37年2月。日露戦争開戦。日本軍兵士は6.5mm口径の30年式小銃を、ロシア軍は7.62mm口径のモシン・ナガンM1891ライフルを手にとって戦った。この戦いでは旅順港攻防戦がよくクローズアップされる。たしかに日本とロシアにとっての天王山は旅順港であり、両軍はこの攻防で文字通りの死闘を繰り広げた。

ただ、野戦も頻繁に行われた。当時の戦いは、まず両軍の大砲(野砲)が火を吹き距離を詰め、そして我彼共に距離がある程度詰まったら機関銃の射撃、さらに距離が詰まったらライフルの射撃、最後には銃剣をかざしての白兵戦となると考えられた。

実際にその通りだったが、大砲の性能ではロシア軍のほうが上で、特に射程距離では1km以上も差があったのだから、日本にとっては大きな不利だった。機関銃の撃ち合いではほぼ互角を演じたが水冷式でベルト給弾式のロシアのマキシム型機関銃の方が上だったと言えるが、絶対的に数が少なかったので両者ほぼ互角といえた。決定的だったのはライフル性能だったと言える。日本の30年式小銃は水平射撃した場合500m先では1.2mドロップ(沈下)した。ロシアのモシン・ナガンM1891ライフルは同じ距離で1.5mドロップした。ドロップ補正は照準器で行えるが、ドロップが小さいほど命中精度が高いといえた。なぜなら、日本の30年式小銃では300mに照準を固定して撃っても、立った兵士が目標ならばその体のヘソあたりを狙って撃ちさえすれば600mぐらいまでは照準補正などいらずに撃てた。距離が近かろうが遠かろうが相手のどこかに当たる

http://homepage3.nifty.com/sweeper/gun/rifle/30shiki.htm

②機関銃

機関銃の出現によって大規模な歩兵部隊を突撃して攻め落とすことが難しくなり、守備側の優位性が高まり、攻撃側に多大の損害を与えることになった。これによって機関銃に守られた強固な守備陣地が多数築城された地域では、戦線の膠着を招くことになる。

機関銃を防御兵器として使った日露戦争は10年後に起る第一次世界大戦を先取った戦いとなった。

保式機関砲(日本軍)

口径 6.5mm
使用弾薬 6.5mm 三十年式実包
装弾数 30発(保弾板)
作動方式 ガス圧利用
重量 50kg
発射速度 450発
銃口初速 700m/s
有効射程 2,000m

1901年(明治34年)、陸軍はオチキス社から製造権を買い取り、合わせて砲身50門を購入した。以後、日本陸軍はこの機関砲を大量生産し、1902年(明治35年)に保式機関砲として制定した。 オチキス社はホッチキス(ステイプラー)を作った会社。

奉天の戦闘における日本軍は268挺の機関銃で間接照準射撃などを使い、英国武官の観察によるとロシア側に多大の損害を与えた。ロシア側の死傷者・行方不明者は9万人に上った。

http://www.日本の武器兵器.jp/thesis/081118/081118_gakushi360.htm.

保式機関砲は三脚上に乗せられて操砲された。三脚は二本の前脚と一本の後脚から構成され、機関砲手はこの後脚上に設けられたサドル(鞍座)に腰かけて射撃操作を行った。

三脚架付きの保式機関砲は、砲車長1名、砲手3名の班で運用された。砲車長は砲の右側に位置する。一番砲手は三脚架上のサドルに乗り、機関砲を照準、射撃する。二番砲手は砲の左側に位置し、挿弾子の装填を行う。装填・排莢のガス圧に注意し、規制子を操作する。三番砲手は後方に位置し、弾薬箱から弾薬を供給する。

機関砲を移動するには砲手2人で移動させた。三脚の前脚を2番砲手が背負い、後脚を一番砲手が持つ。砲車長の号令に合わせて機関砲を移動させた。三脚は折り畳むことができた。一箱十数㎏ある弾薬は、三番砲手が持ち運んだ。弾薬箱内には弾薬紙箱14個、420発分が入れられていた。紙箱には実包30発を入れた挿弾子がおさめられており、全重は890gである。

単発射撃には砲車長が射程と目標を指示し、「並ニ打カカレ」と号令した。連続射撃には砲車長が射程と目標を指示し、「急キ打カカレ」と号令した。密集部隊、大目標に対して薙射する場合、「左右ニナゲ」と指示した。二番砲手は、機関砲がクリップの3分の2程度を撃ち終えたときに次のクリップを用意し、撃ち終えると直ちに装填した。保弾板の回収は時間のあるときに三番砲手が行った。

保式機関砲は作動にガス圧を用いる。このガス圧を調整する規制子(レギュレーター)が作られていた。ガス圧が過小で排莢不十分、または排莢されないときには規制子を締め、ガス圧の反動が過大で銃が安定しない場合、肩に反動を感じる場合には規制子を緩めて調整した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%BC%8F%E6%A9%9F%E9%96%A2%E7%A0%B2

マキシム機関銃(ロシア軍)

ロシア軍による旅順港防衛では、防衛する要塞の60数挺のマキシム機銃で日本側は16000人余の被害を蒙った。

重量 27.2 kg
全長 107.9cm
銃身長 67.3cm
要員数 4人
弾丸 .303ブリティッシュ弾
作動方式 ショートリコイル
発射速度 毎分500発
初速 744 m/s 装填方式 250発の帆布製のベルト給弾

http://www.日本の武器兵器.jp/thesis/081118/081118_gakushi360.htm.

③攻城砲

元々日本軍は日露戦争の主力攻城砲としてドイツより、クルップ式(克式)十糎半加農砲、十二糎榴弾砲、十五糎榴弾砲を調達配備した。鴨緑江戦の九連城攻撃では、十二糎榴弾砲がロシア軍の砲台の大半を破壊し、その威力を見せつけたが、旅順攻略戦においてロシア軍のコンクリート製永久堡塁を撃破することができず、海軍の二十八糎砲を投入することになる。

二十八糎砲(日本軍)

難攻不落の旅順要塞を粉砕した日本軍最強の大砲

重量 2,600kg
全長 2,863mm
口径 280mm
砲口初速 142~315m/s
放列砲車重量 10,422kg
初速 734.5m/s
最大射程 7,650m
高低射界 -5~+65°
方向射界 360°
使用弾種 堅鉄破甲榴弾(重量 217kg)

もともとは対艦用の沿岸砲として日本内地の海岸に配備されていたものであったが、日露戦争勃発後に陸軍技術審査部は二十八糎砲を攻城砲として使用する案を掲示し、陸軍省砲兵課長であった山口勝陸軍砲兵大佐も賛同した。攻城砲兵司令官豊島陽蔵陸軍少将は満州の野戦における重砲運用の難しさなどから当初この案を退けたものの、二十八糎砲を要望する現場の声が高まったため同砲を動員することになった。

203高地の戦いを含む旅順攻囲戦では最終的に18門が投入され(重砲兵により運用)、延べ16,940発を発射した。特に旅順攻略において3週間かかるといわれた砲床構築を重砲兵は9日で完成させ、6門にてロシア軍陣地に大打撃を与えた。さらに旅順要塞陥落後は旅順湾内に停泊するロシア海軍旅順艦隊(第1太平洋艦隊)に対し砲撃を行い、これらをほぼ殲滅することに成功、のちの日本海海戦における海軍の勝利に大きく寄与した。また、旅順攻略・旅順艦隊撃破後は日露戦争の陸戦における最終決戦(会戦)である奉天会戦にも引き続き投入され活躍している。

本砲の原型となったイタリア式28cm榴弾砲はドイツのクルップ社の榴弾砲を原型としており、また旅順で日本軍と対峙したロシア軍はクルップ社の28センチ砲を使用していた。このため、日露双方でほぼ同じ規格の火砲・砲弾が使用されており、日本軍が打ち込んだが不発となった砲弾にロシア軍が47mm速射砲用の信管を付けて撃ち返して来たという珍事まで起きている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%B3%8E%E7%A0%B2

④野砲

31年式野砲(日本軍)

(31年式速射砲)
重量 908kg
砲口径 75mm
初速 487m/秒
最大射程距離 6,500m
高低射界 -5~+38度 発射速度
約3発/分
使用弾種 榴弾(炸薬800g)6.1kg 榴霰弾(弾子234)6.0kg

日本陸軍が明治31年(1898年)に制式砲とした大砲。三十一年式野砲と三十一年式山砲の2種類がある。著名な銃砲設計者である陸軍中将有坂成章が開発したもので、別名「有坂砲」といわれる。日露戦争での主力砲として活躍した。

本砲が「速射砲」と呼ばれたのは、初めて無煙火薬を使用したことにより、それ以前の黒色火薬による排煤作業が不要となり「速く撃てる」ようになったことに過ぎない。本砲は簡単な復座装置しか備えていなかった。

3インチ砲(ロシア軍):76-мм пушка образца 1900 года

重量 1,000kg
口径長 31口径
口径 76.2mm
閉鎖機 隔螺式
駐退機 油圧/インドゴムリング(india-rubber rings)
砲架 単脚式
俯仰角 −6°~11°
旋回角 2.5°
最大有効射程 7.5km
最大射程 8.5 km

ロシアは31年式速射砲に対抗して3インチ砲を開発。日露戦争では、31式野山砲の射程外からロシア軍の砲撃に見舞われることが多々あった。そこで日本軍は数で押した。

参考:

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コメント

3インチ砲の解説を期待していたがあまりにも短い解説にはびっくりしています。もう少し長くてしょうさいなかいせつをしていただけませんか。

澤崎宏之さん、どうもsun
確かに短いですね。なぜ短いのかわかりませんが力尽きたんでしょうか。足しておきます。

臼砲についてはどんなものを使ったのか両軍の臼砲名を教えてください。

臼砲は何が使われたのか両軍の火砲を教えてください。

日露戦争で使用された両軍の臼砲と山砲を教えてください。

日露戦争で活躍した両軍の臼砲を教えてください。

日露戦争で活躍した臼砲と山砲について両軍の火砲を教えてください。

澤崎宏之さん、どうも
日本軍の山砲は三十一年式速山砲です。31年式野砲と基本は同じです。おそらく砲架を軽量化したりしているのだと思われます。ロシア軍の山砲は3ポンド(76mm)1904Mと呼ばれるものがあります。詳細は不明です。

迫撃砲の歴史は面白いですね。日露戦争からなんですね。この頃は擲弾を飛ばすだけの急造品だったそうです。

臼砲は日本軍だと有名なのは28cm砲(二十八糎砲)。元々海岸砲だったものを攻城砲に転用したのは坂の上の雲での描写にありました。九糎臼砲と十五糎臼砲も使われたそうです。

ロシア軍はあまり臼砲を使ってないかも知れません。少し調べてみましたが、カノン砲のほうが性能が良いからです。日本軍は臼砲を大量に使ったのは榴弾砲に必要な良質な鋼鉄を製造する技術がまだ育っていなかったからだそうです。これは知りませんでした。

ロシアが当時配備していた沿岸砲で最も強力だったのが11インチ(27.94cm)M1867だそうです。

以下のサイトを参考にしました。
http://artillery-museum.ru/en/main-exposition/the-history-of-russian-artillery-since-the-mid19th-century-up-to-1917.html


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