坂の上の雲:ロシアからの視点
ロジェストヴェンスキーの手紙やロシア高官の文章などから、ロシア側から見た日露戦争について書かれた本「もうひとつの日露戦争」があります。
バルチック艦隊の苦境は生々しく書かれていて面白いのですが、ドラマであまり触れていない(であろう)ことについて少し書いてみます。
日本軍による旅順攻略がロシア側に与えたインパクトを、日本側は過小評価しているかもしれません。
ニコライ二世は大津事件で切りつけられたことで反日感情を持ったわけではなく(負傷したときに日本人が手を差し伸べてきたと日記に書いている)、イギリスとの極東における覇権争いの中で、日本との対立を深めていった。そして主戦派がロシア政府ないで主導権を握ったことが、対日開戦へとロシアを導いた。
アレクセーエフ極東総督が所有していた文書の一つに「ロシアの戦略構想」というものがある。起草者は不明だが高官だとされている。誇大妄想に近い。(以下引用)
極東におけるロシアの国家課題は、そこに長期的な平和を確立することであり、それが実現すれば我々は
①自らの政治状況を強固にし、複数の自由港を利用することができる
②極東における軍事力維持の支出を最低限におさえることができる
③何の不安もなく現地の資源を開発することができる
という目的を達成するだろう。
この国家的課題のうち、最初の課題 すなわち朝鮮の併合のみを対日戦争の戦後処理として解決する。この目的のため日本陸軍を全面敗北させるだけでなく、軍事行動を東京にまで展開し、東京または別の軍事拠点を占領する。軍事、政治、経済各面で、日本を長期にわたり、弱体化の状態に置き、極東の諸海域で我々が完全に制海権を握るという条件を作り上げ、その上で日本と講和を結ぶ。
(引用終わり)
中国、満州問題解決にもおいても中国に戦争を起こさせて短期間のうちに北京を占領し、中国に強い関心を持つ列強に対して優位に立ち、中国から賠償金とモンゴル、中国領トルケスタン、チベット国境までの西中国の支配を獲得する。列強とは戦いにはならない。というのも列強も中国分割を望んでいるからである。
バルチック艦隊を率いたロジェストヴェンスキーは確かに皇帝の腰巾着かもしれないが、馬鹿ではない。本国の戦略的判断のまずさにロジェストヴェンスキーは怒っている。
旅順陥落はバルチック艦隊にとって死刑宣告も同然だった(197ページ)。このままバルチック艦隊を(旅順艦隊と合流もできずに)、連合艦隊が待ち受ける日本近海へと進ませるのは自殺行為であるが、反転して帰国の途につくとロシアの面目が失われる。ロジェストヴェンスキーにとっては進むも地獄、退くも地獄であった。(実際バルチック艦隊の内外で様々な意見が飛び交った)
そこで本国(皇帝)は少しでも勝てる確率を高めようと、旧式艦からなる艦隊を合流させて、バルチック艦隊をウラジオストクへ航海させることにした。だがそれは逆効果だった。
その旧式艦の艦隊を待つために、ロジェストヴェンスキーはマダガスカルに二ヶ月間バルチック艦隊が留め置かれていることになり、烈火のごとく怒り、本国に打電した。「さまざまな理由で我々は足止めを食っているが、これこそ自滅を招く源だ。なぜならこれによって日本は広範な準備の機会を得ることになるからだ」(198ページ)
マダガスカル島においてロジェストヴェンスキーは苦境に立たされていた。
1905年1月17日の手紙に書かれている内容(217ページ):
今度、ドイツの石炭供給会社は艦隊に随伴して石炭の供給を業務は行わないと言いだした。
マダガスカルでは食料の調達はほぼできない。食肉は豊富だが、小麦粉、大麦粉、バター、野菜が一切手に入らない。二週間後には食料は底を尽き、それ以後は食料なしで航海しなければならない。
皇帝の裁可あるまで航海を再開できないので、1月6日に皇帝宛てに電信を打ったが返答がまだ来ない。
(旅順攻略にとって本国の戦略的思考は完全に欠如し、ありとあらゆる戦略的不幸がロジェストヴェンスキーにのしかかってきたといって良いでしょう)
ヴィトゲフトなる人物の手記によると、バルチック艦隊の指揮官の中でロジェストヴェンスキーだけが指揮官らしく振る舞っていた(239ページ)。
バルチック艦隊の艦船の大部分の指揮官は、無気力になるか、飲酒にふけるかの、どちらかだった。ただ一人、ロジェストヴェンスキーだけが、思わしくない健康にもかかわらず、自分をしっかりと律していた。彼はしばしば厳しい措置を取り、罵声を浴びせ、時には怒りを爆発させ、乗組員たちに作業を強制した。彼にはそう行動するしかなかったのだ。もう一度繰り返すが、彼だけが艦隊内にうまれつつあった精神的瓦解を抑えることができたのだ。もし他の提督が彼の立場にいたなら、それが誰にせよ、状況はずっと悪くなっただろう。
ロジェストヴェンスキーは危険を回避するために、オーストラリアの西岸に沿って進んで太平洋に進出することも検討した。
同年三月三十一日のロジェストヴェンスキーの手紙を見ると、彼の精神が極限状態に達していたのが見て取れる。ロジェストヴェンスキーは戦う前から東郷艦隊に負けると確信していた。
この本を著わしたコンスタンチン・サルキソフはこう書いている。
バルチックが退却するならこの時点しかなかった。しかし退却の決断をできるのは皇帝しかいない。しかし皇帝はバルチック艦隊の状況をあまり理解しておらず、また退却命令を出せば、それが皇帝の弱さを示すモノだと受け取られ、反体制派や革命勢力さらに勢いづかせるというのを恐れた。退却命令を出さなかった。だが皇帝が理解していなかった。バルチック艦隊の敗北は取りも直さず、皇帝自らの失脚を招くものであり、日本海海戦こそ、皇帝の治世とロシア専制体制の終焉を理解していなかった。
最後にロジェストヴェンスキーが、日本海海戦に敗北し、もっとも屈辱的な講和を日本と結ばされることになった原因を挙げている。
我々は自惚れて、全部門にわたってロシア独自の学問を発展させようとし、時期尚早のうちに我々の教師だったドイツ人を追い出してしまった。すべてはここに起因する。彼らのもとに戻るべきである。ドイツに学ぶためにロシア国民を派遣すべきである。我々の秩序のため、ドイツ人を呼ばなければならない。(249ページ)
感想:日本軍が旅順を攻略したことで、ロシア側に日本の軍事力を恐れるという思考回路を受け付けたのは、日本が日露戦争に勝利できたのが大きな要因だったと思います。
ロシアが負ける訳がないと信じていたのに、負けてしまった。しかも堅牢な旅順要塞を構築していたにもかかわらずです。そうなれば、いかなる防御陣地や要塞も無意味と考えるようになって当然でしょう。(3月11日に津波に堅牢な堤防が破壊された後、どんなに高い堤防を造っても無意味だみたいな意見が多く聞かれました)。クロパトキンが後退戦略を取るのももっともです。
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コメント
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つまり、旅順陥落時点で詰んでいたわけですね。
落日の帝国と、日の出の勢いの帝国。
投稿: Haru | 2011/12/23 00:53
Haruさん、どうも
そうロシア人学者は考えているようです。
確かにそうだと思います。
ロシアはまさに落日の帝国です。
投稿: 竹花です。 | 2011/12/23 02:51