坂の上の雲 旅順総攻撃 その4(適当に寸評と写真を入れつつ)
弱点など、どこにある?
児玉源太郎に旅順要塞の弱点を調べてそこを突くのだと言われた乃木希典の言葉。
これが旅順攻略、遼陽会戦における前線司令官の想いを表しているようです。
黒鳩(クロパトキン)のねぐらを追うて昼寝かな
大山巌がクロパトキンが残したベッドの上に寝転び大笑いする。
しかしクロパトキンは退却にあたって記者会見を開き、これを奉天までの予定の退却であると公表した。そのために世界の目には、日本は勝利者としてはうつらなかった。
「なぜ第一軍は、逃げる露軍を撃破せざりしか。追撃して背中に人たち浴びせれば、遼陽にて露軍を撃破せしことあらん」、大本営はそう満州軍に打電してきた。
大本営は馬鹿者か!
児玉源太郎が吠える。
なぜ逃げるロシアを追撃しなかったか?追撃して背中に一太刀浴びせれば、遼陽でロシアを潰すことができたとは、どういう了見か!
追えんのじゃ!弾もないのに追えんのじゃ!
それが大本営。
みんな役にはまってるように見えます。
ロシア熊が最後の致命傷を与えるべく、わずかに退き下がっている。小さな日本人は満身創痍で、かろうじて遼陽にたどり着きはしたものの、それは勝利というものではなく、ロシア熊が退き下がったために、単につんのめったというにすぎない……
極端に言えば、満州における行司役はタイムズとロイター通信であった。それによって国際的な心理や世論が動かされた。
世界中を駆け回ったニュースは日本軍非勝利説であり、このためロンドンにおける日本公債の公募は激減し、日本の戦時財政に手痛い衝撃を与えることになった。
日銀副総裁高橋是清が寝起きする安宿にをアメリカの大資本家ジェイコブ・シフがやってきて、アメリカで行う第二回公募を引き受けようという(シフと一緒にいるのは是清に500万ポンドを引き受けようと言ってきた銀行の人間でしょう)
感謝する是清にシフが「なぜか」を教える。
日本が強大なロシアに勝てると思うかとシフは聞かれて、それはわからないと答える。
ただ一言、
この戦いが続く限り、帝政ロシアは必ず衰退する
是清に言った。
※イスラエルのモシェ・バルトゥール駐日大使が1966年に着任したさいには、昭和天皇より「日本人はユダヤ民族に感謝の念を忘れません。かつてわが国はヤコブ・シフ氏に大変お世話になりました」という発言を受けたという。
強力な民族を迫害して敵に回すと酷い目に遭うということです。
こういう経験があればこそ、恐慌に見舞われた日本を是清は救えたのかなと思ったりします。
このロシア皇帝がバルチック艦隊出撃の聖断を下す。
その一人、バルチック艦隊司令ロジェストウェンスキーに皇帝より出撃命令が下る。
ロジェストウェンスキーはこう豪語します。
陛下の艦隊は日本海軍を海底に沈め、孤立した満州の大山(巌)は無残な最期を遂げましょう。
余談:イギリスの軍艦などはHMSインヴィンシブルと書きます。(アメリカならUSSエンタープライズ)HMSはHis(Her) Majesty Ship。直訳すればまさに「陛下の船」
万里の波濤を蹴って極東の海へ遠征する卿の名を不滅のもとしよう。
(万里の波濤を蹴ることがいかに戦略的な無謀であるかをこの皇帝は知らなかった)
旅順の港とその大要塞は、日本の陸海軍にとって最大の痛点でありつづけている。東郷の艦隊はなおも、この港の口外に釘付けにされ、番人の役目を続けている…
そして日本軍の夜襲が始まる。
乃木軍が早く旅順を落してくれれば」ということは、悲鳴をあげたくなるほどの願望になっていた。
先の旅順攻撃にて、第三号係留気球は敵要塞をよく見渡せると好評で、長岡外史さらに改良を加えていた。
旅順が早く落ちねば、国が滅びる。打てる策はすべて打たねばならん!
そこに有坂がやってきて、長岡に今の攻め方では旅順はとても落ちないと忠告する。
今持っていってる大砲、ああいうものでは、とても落ちないよ!と有坂成章。
有名な銃砲開発者。日露戦争で使われた三十式歩兵銃の生みの親。
三十年式歩兵銃は世界に先駆けて口径6.5mmという小径を採用し、弾丸を軽量化する分初速を高くすることにより弾丸の低伸性を実現するなど、ロシア軍の小銃の性能を凌駕していた。この小銃の成果により、有坂の名は世界的に知られ、特にアメリカでは三十年式以降の日本の小銃をすべてArisaka Rifle(アリサカ・ライフル)と呼んだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%9D%82%E6%88%90%E7%AB%A0
冗談じゃない!と長岡が怒り出す。
乃木軍には砲兵専門の伊地知や豊島を配し、ありとあらゆる大砲を駆使して攻めとるんじゃ!(陸軍の精神論ですな)
奇抜なことをいうようじゃがね、と有坂。
28糎(サンチ)榴弾砲を送ろうじゃないか。
巨砲というその表現にもっともふさわしいのが、28糎榴弾砲であった。
「海岸砲」とその当時呼ばれていた。
第三軍司令部の伊地知はそれに否定的だった。
長岡は歩兵の上がりじゃって28糎榴弾砲がいかにやっかいなものかしらんのじゃ。
まず砲床を作らねばならないと豊島が乃木に図面を見せて説明する。
この巨砲を乗せるための基礎ですから、ベトンが乾くまで1~2ヶ月。
満州軍司令部には「送るに及ばず」ち、言うておけと伊地知。
あんしに現地の実情や苦しみがわかるか!必要じゃっとは、兵と弾じゃ!
(満州軍司令部は多少攻撃が遅れてでも28糎榴弾砲を投入して目標を完遂すべきと考えており、第三軍は総攻撃を遅らせるわけにはいかないと考えていて、満州軍司令部と乃木の第三軍には目的の解釈に大きな齟齬があったと)
満州軍総司令部
「送るに及ばず」と伊地知は本当にそう応えたのか?と耳を疑う児玉。
それで長岡はどうした? 28糎榴弾砲はどうなった?と聞く。
長岡は伊地知の返答を無視して砲床構築班とともに28糎榴弾砲を大連へ送っていた。
(コンスタンティノープルは堅牢な城壁に守られ1千年に渡って敵軍を防いできましたが、包囲するトルコ軍がハンガリー技師のウルバンが造った巨砲で城壁を攻撃し、痛打を与えコンスタンティノープル陥落に大きく寄与しました。要塞はそれを突き崩す攻城兵器がない限り無敵ですが、それを破壊できる兵器が出てくると動かない標的と化します。第二次世界大戦においてドイツ軍のマンシュタインはソ連のセヴァストポリ包囲戦において列車砲を投入して、要塞を破壊して攻略を成功させています)
児玉はロシア軍が動かないのを見て、満州司令部を離れ、旅順へ第三軍の督励に向かった。
二〇三高地問題について、事態が変化したのは、この第二回の総攻撃のときである。乃木の隷下にある第一師団星野参謀長がこの高地の重要性を認め、是非攻撃したいと群司令部の参謀長会議で献策した。
しかしながらあくまで折衷案にすぎず、攻撃の主眼は依然として前回、万余の血を吸った砲塁群であり、いわば兵力は分散した。
次もあの要塞に正面攻撃をかけるんか?児玉が乃木に問う。
あの要塞相手に、正面攻撃で勝ち目があるか!
もっと知恵を絞らせろ!伊地知や豊島は「兵と砲弾をよこせ」というばかりで、この銃砲の嵐の中を、兵を突っ込ませ、何の手も打たんとは、それでも参謀か!
それを聞いている参謀たち。
要塞戦は弱点攻撃が大原則じゃと児玉が乃木に詰め寄る。なぜもっと弱点を探らん?
わしらは何の情報も持たず、これに挑んだのじゃ。
この砲台の一基一基、銃眼の数、一つ一つ、すべて皆の肉弾をもって知り得たことじゃ。
伊地知が弾をくれと言うておるのは、楽に勝ちたいからではない。
弾がなければ兵たちを肉弾として、送り出さねばならんのじゃ!
これまでの死を無駄にはできぬ。じゃからこのひと月、同胞の血を啜った大地を、皆で掘り進んでおるんじゃ。坑道掘り、塹壕を進め、総力を挙げて東鶏冠山と盤龍山を落す。
それ以外に旅順を落す道はないと信じておる。
(これが一番旅順攻略で効果的な戦略で、第一次世界大戦でも同じような塹壕戦になります)
それで勝てるのか?
児玉が乃木との話を終えて出てきて参謀たちに釘を刺す。
遼陽で待っておるぞ。一刻も早く我らを助けに来てくれよ。
伊地知は睨まれた。
日本は旅順で滅びるのではないかという、暗い感じを誰しもが持った。
幕末から維新にかけて、日本は史上類のない苦悩をへて近代国家を作り上げたが、それがわずか37年で滅びるかもしれないということであった。
二度目の旅順総攻撃は、四九〇〇人の死傷者を出し、失敗に終った。
これまでの第三軍の攻撃が無駄だったとは思いたくないと真之が東郷に言う。
ロシアもきっと苦しんでいるはずじゃ。残る力を二〇三高地にかけてば、ともすれば……
おいどんたちも苦しかと東郷。
じゃどん乃木さあは、もっと苦しか。
待つときは待たにゃならん。
山縣有朋は乃木更迭を明治天皇に上奏にした。それについて長岡が山縣のところ天皇の意向を聞きに来た。
「ならぬ。乃木の更迭は何があろうとならぬ。代えたら乃木は憤死する」と仰せだと。
恐れながら第三軍司令部が今のままでは、次の総攻撃でも無益な殺生が繰り返されます。
閣下!旅順が落ちねば、日本が滅びます!
山縣が漢詩をしたためる。
陛下より乃木に激励の勅語を賜る。ついてはワシからも檄を飛ばす。
百弾激雷 天もまた驚く。
合囲 半歳 万屍 横たわる
精神至る所 鉄より堅く
一挙 直に屠る 旅順の城。
予定どおり26日には総攻撃を開始できる見込みだと豊島が乃木に報告する。
もっとも26日まで我が司令部があればの話ですがと弱気の伊地知。
陛下におかせられては……と明治天皇の勅語を伝える
第三軍総攻撃の挙あるを聞き、その時宜を得たるを喜び 成功を望む 切なり
津田野が乃木のもとを訪れ、土下座する。
今、第三軍が苦境にあるのは、我々参謀の責任です。
すべての責任はわしにある。
そう言い切る乃木閣下、男の鑑であります!
翌日午後11時、乃木は各師団に第三回総攻撃の軍命令を下した。
児玉が太陽に向かって祈る
乃木を……
乃木を頼みます。
まさに、皇国の興廃、この一戦に有り。
どこまで追い詰められる乃木が良く描けていると思います。

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今日、再放送みました(^^)
榴弾砲がちゃんと炸裂してたり、野戦砲がちゃんと後退してたり、火線がリアルだったりと、映像面が大変素晴らしいです。
司馬リョーのせいで乃木無能論が現在は支配的な感じですが、是非史実に照らして欲しいところ、と思ったけど、原作は司馬遼太郎だから、無理かなw
投稿: Haru | 2011/12/10 23:58
Haruさん、どうも
突撃シーンは目下日本一だと思います。
確かに乃木をあまり変えてしまうと「坂の上の雲」のでなく、「坂の上のどーもくん」なってしまうという悩ましい問題が出てきてしまいますね。
投稿: 竹花です。 | 2011/12/11 00:15
このドラマの乃木はほんとうに素晴らしいです。画面には出てこない明治天皇が絶対やめさせなかった、そのつながりが自然と納得できるような人物像にちゃんとなってます。
かつての長州藩のあたりをずーっと旅行したとき、乃木の地元にも寄りましたが、地元では今でもみんな当たり前のように「乃木先生」と呼んでいると聞きました。
投稿: baldhatter | 2011/12/11 02:37
baldhatterさん、どうも
これはもう乃木のドラマです。乃木閣下万歳です。地元で愛される理由がわかります。
確かに最近のドラマにはない深さがありますね。
投稿: 竹花です。 | 2011/12/11 02:56
無能どころかその当時では、世界トップレベルの軍人でしたよ。
第一回総攻撃が失敗したら、塹壕をほったように作戦を、かえたのはすごいですね。
28cm砲ですが伊地知はいらないといっておらず、後々の戦いを考えてと、いったのが真相らしいです。
設置するのに3週間もかかるのを、9日でしたのはすごいですね。
最初から徹甲弾で使用していれば、どうなったでしょうか。
旭川第7師団の犠牲は・・・・・・
投稿: パトリオット | 2011/12/22 23:49
パトリオットさん、どうも
塹壕を掘り進めていくやり方に戦術転換したと乃木は言ってるの、あまり注目されてませんでしたね。
確かに最初から28cm榴弾砲を使っていたら、全然違ったと思います。
投稿: 竹花です。 | 2011/12/23 00:18