ブラタモリ 江戸の盛り場 両国
明暦の大火(1657年)で江戸の町が消失したことがきっかけで、両国のあたりが盛り場になったという江戸の幕府も江戸の庶民も、転んでもただでは起きないバイタリティがあります。
10万人とも言われる犠牲者を弔うために建立されたのが回向院(えこういん)。
回向院は隅田川の西岸にあるので、江戸の町から参拝に向かう人たちのために両国橋がかけられた。大火になったときのために町人が橋を渡って逃げられる避難路にもなっている。(川の対岸までは火事は延焼しないというのもあるんでしょう)。
江戸の町は木造建築なので、火事がいつ起こってもおかしくない。もし火事になっても両国橋には火が移らないように、両国橋のたもとには火除け地が設けられた。
ただ火除け地を空き地にしておくのはもったいない。そこで「仮設」ならいいよということで、水茶屋とか屋台がならぶようになる。
豹の見世物小屋も建ったとか。
日本が誇る花火も両国が発祥。
江戸中期に発生したコレラや大飢饉による死者を慰めるために打ち上げられたのが始まり。
昔はそういうことも祭りに転換できる思考回路が日本人にあったんですね。いつからなんでも自粛になったのか。
隅田川の東岸に行く。
イノシシ鍋屋。
山鯨と言われて食べていた。自由なんですね。
回向院へ。
大正の頃には、回向院の中にスケートリンクもあって、オットセイも見世物になってたとか。(上野も寛永寺も江戸時代のテーマパークみたいな話をしてました)
そして相撲の力士を祀った塚もある。
江戸時代、神社仏閣を造る費用を工面するために各地で行われていたのが、「勧進相撲」やがて両国が盛り場に発展することで回向院の境内で相撲が定期的に行われるようになったんだとか。
それまで場所ごとに仮設で行われていた相撲は明治42年に常設の国技館が両国に完成し、そこで行われるようになった。
旧国技館跡。
ここ2階にサイゼリアみたいなのが入ってるビルじゃないですか?
仏塔猫。
お鼻が仏塔。
大火から盛り場が生まれて、相撲が定期興業されるようになる。
災害になれてるせいか江戸時代の人はたくましいし、発想力が違います。幕府も知恵を絞ったんでしょうが、それに乗っかる町民のバイタリティーと商魂にも惹かれます。
現代の復興を行う上でも、江戸の都市計画は参考になることが多いのではないでしょうか。
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相撲といえば両国、両国といば回向院。相撲と回向院について、もっと掘り下げてほしい。たとえば回向院の墓地には現在でも、10以上の力士の墓がある。
ホームページ・ブログ「相撲古美術」
投稿: 杉浦 弘 | 2015/04/10 20:50
杉浦さん、どうも
サードシーズンに期待したいですね。
投稿: 竹花です。 | 2015/04/11 01:26