2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

記事検索できます

最近のトラックバック

« 平清盛 第39回 「兎丸無念」 見ているこっちは大満足 | トップページ | ゴーイング マイ ホーム 第1話 阿部寛のダメな感じがいい »

2012/10/08

米国が核兵器を使わなかったら韓国も戦勝国になって戦後処理に参加することもできた→そもそも韓国があったと思うのか?

韓国の新聞記事がネタになっていました。プロイセンの歴史が歪曲されているのに新聞社内でおかしいと思わないのかなと。

そもとも1945年8月で終戦になってなかったら韓国ないかもしれないと信じて疑わない韓国のメディア。

まずの記事の引用から

ドイツは1871年、プロイセンの総理オットー・フォン・ビスマルクの主導で統一された。ドイツ北東部の小さな 国プロイセンは、ベルリンが位置したブランデンブルクとの統合でドイツ統一の火種に火をつけ、ビスマルク という強力な指導者を前面に出して統一の偉業を完成した(???)。

ところでこのプロイセンは現在、ドイツの領土の中に存在しない。プロイセン全体が現在、ポーランドとロシア の領土に属している。どういうことだろうか? 1871年の統一当時、ビスマルクはプロイセンとブランデンブル クをはじめとして54万平方kmの領土を確保したが、彼の後継者は戦争を行ってその領土の中の18万平方km を失った。ここにプロイセンが含まれた。

特にヒトラーは2次世界大戦を起こして1次大戦の時にヴィルヘルム2世が失ったビスマルク時代のドイツ領土 を取り戻して、ビスマルクの統一の時に含まれなかったオーストリアまで統合しようとした。しかし、結局世界を 征服しようとしていたヒトラーの妄想は5000万人が亡くなる人類最大の悲劇に終わった。

2次大戦後、戦勝国の米国とソ連、英国、フランスは戦争前のドイツの領土の中でプロイセンとシュレジエン(シ レジア)、ポーゼン全体、ポメルンの大部分、ブランデンブルクの一部をポーランドとロシアに譲り渡した。韓国 領土よりさらに広い11万平方kmだった。ドイツ人とポーランド人が混ざって住んでいたドイツ東部をポーランド が持つ代わりに、ポーランド人とロシア系が混ざって住んでいたポーランド東部をソ連が占めた。ソ連は不凍 港ケーニヒスベルクを含むプロイセン北部まで占めた。

ところでドイツと共に2次大戦の二大戦争犯罪国家である日本の場合は違った。領土が全て守られたし、米軍 が占領した沖縄も1972年に返還された。今、日本はむしろ1905年に強奪した独島を出せと韓国に大声を上げ ている。また、1978年の中日友好条約の時に鄧小平と暗黙的に「現状維持」を合意した尖閣諸島(釣魚島)も国 有化しようとしている。

なぜこのようになったのだろうか? 最初に、戦後処理に問題があった。米国は戦争を終わらせた後、単独で 日本を占領し、初めに軍部・財閥解体、戦争責任者の公職追放など改革を推進した。しかし1949年の中国の 共産化と1950年の6・25戦争(朝鮮戦争)を経験して政策を変えた。ソ連に対抗するために吉田茂、岸信介など 戦犯級帝国主義者たちを再び登用し、財閥を復活させ、左翼を排除した。いわゆる「逆コース」だった。日本は とても簡単に赦免状を受けた。

二番目、1945年8月に米国が核兵器を使って太平洋戦争をとてもはやく終わらせることにより、周辺の国々が 対日本戦争に参加する機会を得ることができなかった。米国が核兵器を使わなかったとすればソ連と中国、 もしかしたら韓国までも戦勝国になって戦後処理に参加することもできた。

ドイツは米国とソ連、英国、フランスが共同占領することにより、戦後処理で周辺の国々の意志を適切に反映 することができた。ドイツのように日本でも戦争責任者を最後まで処罰・排除して、国土を分割したのならどう だったのだろうか? それでも日本が帝国主義の被害者でありながらも戦後に国が分割されて領土(間島= カンド)まで奪われた韓国に独島を出せとあえて言うことができただろうか? 事実このような苦痛はドイツと同 じように日本が経験していなければならないことだ。

2次大戦の罰で分断されたドイツはヴィリー・ブラント総理がポーランドに行って被害者の追悼碑の前にひざま ずいて謝罪して、自ら被害者に補償して、法律でナチズムを禁止している。さらに1990年11月、再統一したド イツは憲法を改正してポーランドと条約を結び、プロイセンを含む2次大戦で失った過去の領土を全部あきら めた。ドイツがただでヨーロッパ連合のリーダーになったのではない。

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1349643529

まず

ドイツ北東部の小さな 国プロイセンは、ベルリンが位置したブランデンブルクとの統合でドイツ統一の火種に火をつけ、ビスマルク という強力な指導者を前面に出して統一の偉業を完成した。

ブランデンブルク=プロイセンを馬鹿にしているのか?といいたい。

ブランデンブルク選帝侯(ドイツ皇帝の封臣)が(プロイセン公国(ポーランド王の封臣)と同君連合することによって成立したのがブランデンブルク=プロイセン。そして1701年にドイツ皇帝から「ドイツの王」認められた由緒正しい王国なのですよ。ウィキペディアから引用:

(ブランデンブルクの)選帝侯フリードリヒ3世は、スペイン継承戦争でハプスブルク家を支援する見返りとして、皇帝レオポルト1世からプロイセンにおける王号の使用を認められ、1701年に「プロイセンの王」フリードリヒ1世として戴冠した。これはポーランドとの全てのつながりを断ち切ることを意味し、それを端的に示すものとして、フリードリヒ1世はポーランド語を流暢に喋る最後のプロイセン統治者となった。

ドイツ統一とブランデンブルク=プロイセンの台頭とは同じではないです。実際、ドイツ統一には2つの動きがあって、現在のチェコとかハンガリーなど含めた領土を有するハプスブルク帝国が主導する大ドイツ主義と、ドイツ民族だけの統一を目指す小ドイツ主義(プロイセン王国主導)がありました。この二つは長い間併存していて、第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン(ドイツ人が多くすむ地域)戦争ではオーストリア軍とプロイセン軍はデンマークに攻め込んでます。

しかし共同統治はうまくゆかず、普墺戦争が起り、プロイセンが勝ちました。これでプロイセン主導のドイツ統一に向かいます。領土の共同統治は戦争の火種にしかならないという好例です。

ビスマルクの狡猾さは、戦う相手を孤立化させる点にあります。ドイツ統一は戦争しかないということで(群雄割拠するドイツ領邦を民主的に統一させるのは利害が衝突するので無理)、フランスを孤立化させます。そしてフランスにプロイセンに対して戦争を起させるために、ビスマルクが仕掛けた罠がエムス電報事件。こちらもウィキペディアから:

1870年、スペイン国王の王位継承問題が発生した。この継承候補者として、ホーエンツォレルン家の本家筋で宗教改革後もカトリックに留まっていたホーエンツォレルン・シグマリンゲン家のレオポルトの名前が挙がり、プリムやビスマルクもこれを推薦した。これに対し、フランスは自国がホーエンツォレルン家の王を頂く国家に挟まれることを危惧し、プロイセン王ヴィルヘルム1世に翻意を求めた。ヴィルヘルムはもともと執着なく、レオポルト自身気乗りがしていなかったこともあってプロイセン側が折れ、7月12日にレオポルトは正式に王位を辞退した。このプロイセンの譲歩によって事態は平和的に解決したかに見えた。


しかし、あくまでも干渉の権利を有すると信じるフランスは、レオポルトの王位辞退だけでは満足できず、将来に渡ってスペインの王位候補者をホーエンツォレルン家から出さないとの約束をヴィルヘルム1世に求めるため、1870年7月13日、ドイツ西部の温泉地バート・エムスで静養中のヴィルヘルム1世を訪ねたフランス大使ヴァンサン・ベネデッティ伯爵は会見を求めた。だが、既に王位辞退という形で譲歩を行っていた国王は無礼な要求としてこれを拒否し、ベルリンのビスマルクに事の経緯を打電した。

国王から報告の電報を受け取ったビスマルクは、この電報を政治的に利用することを思いつき、電報の一部を意図的に省略、非礼なフランス大使が将来にわたる立候補辞退を強要し、それに立腹した国王が大使を強く追い返したように文面を編集した上で、7月14日に新聞や各国へ向けて公表した。文章の省略によって国王の大使への拒絶は強調され、さらにビスマルクが故意に事実と異なった状況説明を行ったため、かねてからくすぶっていたフランス・プロイセン両国間の敵対心は煽られ、世論は一気に戦争へと傾いた。

なお、翌朝の新聞報道を読んだヴィルヘルム1世自身が「これは戦争だ」と叫んだといわれる。開戦反対の声がまったく無かったわけではなかったが、戦争を求める強い世論に流されるまま、フランスは7月15日に開戦を閣議決定し、7月19日にプロイセンに宣戦を布告した。これにより普仏戦争が始まった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A0%E3%82%B9%E9%9B%BB%E5%A0%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

ビスマルクの凄さは相手に戦争を仕掛けさせたこと。外交は常にバランスを求めます。大義よりもどちらが先に仕掛けたかで諸国の対応が違ってきます。太平洋戦争もそうでしょ?

結論:韓国人記者はわかってないし、世界に竹島(独島)が領土紛争であると言ってしまったのは韓国政府の失敗。尖閣も中国軍が攻めてきた方が世界は日本につくと思いますよ。特に圧倒的武力で攻めてきたら。フォークランド紛争も先に攻めたのはアルゼンチン。悪く言われるのはアルゼンチン。

二番目、1945年8月に米国が核兵器を使って太平洋戦争をとてもはやく終わらせることにより、周辺の国々が 対日本戦争に参加する機会を得ることができなかった。米国が核兵器を使わなかったとすればソ連と中国、 もしかしたら韓国までも戦勝国になって戦後処理に参加することもできた。

歴史を勉強しましょう。1945年8月に何が起ったか理解していないのでは?

ソ連が満州に攻め込んできたでしょうよ。

原爆が投下されず、西側連合国によるダウンフォール作戦が行われたとすれば、ソ連軍だって満州から朝鮮半島に南下してきたでしょう。原爆投下されず、日本が早期講和しなかったら韓国は存在したかな?半島丸ごと朝鮮人民共和国ですよ。あるいは中華人民共和国かもね。

そんな歴史認識が韓国中心すぎる記者にお勧めのゲーム

« 平清盛 第39回 「兎丸無念」 見ているこっちは大満足 | トップページ | ゴーイング マイ ホーム 第1話 阿部寛のダメな感じがいい »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/82091/55842764

この記事へのトラックバック一覧です: 米国が核兵器を使わなかったら韓国も戦勝国になって戦後処理に参加することもできた→そもそも韓国があったと思うのか?:

« 平清盛 第39回 「兎丸無念」 見ているこっちは大満足 | トップページ | ゴーイング マイ ホーム 第1話 阿部寛のダメな感じがいい »

お気に入り

  • 21世紀のミュージックシーンを震撼させるリズム刑事

    Photo

フォト