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2013/07/22

八重の桜 第29話 鶴ヶ城開城  どう負けるか どう誇りを守るのか

ドイツ空軍のハンス・ウルリッヒ・ルーデルがアメリカ軍に降伏した時の言葉を思い出しました。

我々は囚人ではない。ドイツ兵は全ての戦闘に負けたものではなく、ただ物量の重圧に屈したからに過ぎない。

尽きかける食料を確保するために八重のお父さんが決死の覚悟で出撃するが、瀕死の重傷を負って戻ってくる。八重に、ニシはワシの誇りだって死んじゃった。あと一歩、降伏が早ければね。

登勢が砲弾の爆発で死ぬ。大蔵は敗走して戻ってきた弟の健次郎を叩き、なぜ討ち死にしなかった。おなごでさえ命を落しているのに、腹を斬れと迫る。

健次郎も腹を切ろうとする。母親がそれを止める。

凄惨です。野戦と違って籠城戦は家族も城内にいるから、こういうやり取りが起る。

容保は降伏を決断。

何もかも戦で燃やしてしまった。代々築き上げてきた会津の誇りまでも汚した。己が許せぬ。

その言葉に照姫が

過日、凧揚げをする子どもたちを見ました。戦の最中だというのに、目を輝かせる子供らのたくましさを誇らしく思いました。

また会津の空に子供らの凧が揚がるのを見とうございます。

ご立派な決断を存じ上げまする。

時尾が傷を負った斎藤一に手ぬぐいを渡すところがよかった。

ありがとなし、会津のために戦ってくれて。

私は春の会津が一番好きでごぜえやす。

ゆっくり春が来て、きれいな桜が咲いて。

悔しゅうごぜえやす。

てか殿様もみんな悔しいはず。

降伏した会津藩士は猪苗代で謹慎となるが、これは現代でいう捕虜収容所か。

降伏が成立した後の容保が藩士に語りかけるところも良かった。

ワシが至らぬばかりにあいすまぬと、頭を下げた。

罪は我が一身になる。この一命をもって会津を、皆の行く末を守る。

(昭和天皇もこういう覚悟だったのかなと)

最後の軍命である、生きよ。

八重がお殿様は間違っておいてですと声を上げた。

何があってもお殿様には生きていただかねばなりませぬ。

私は何度考えてもわからぬ。天子様のため、公方様のため尽くしてきた会津がなじょして、逆賊と言われなければならないのか。会津の者なら皆、知ってる。悔しくてたまんねえ。死んだ皆様は会津の誇りを守るために、命を使ったのです。

どうかそれを無駄にしねえでください。本当は日本中に言いてえ、会津は逆賊ではねえ!だげんじょ、それを証明できるのは殿様しかねえのです。

男泣きする容保がいい。

開城に際して会津城を掃除するところもねえ。

戦に負けても、誇りは失っちゃなんねえ。きれいにして渡さねば、会津のおなごの恥だ。

八重が山本三郎だと称して藩士に紛れて猪苗代に行くつもりだった。

新政府軍の前で藩士たちが歌い出した。負けても誇りは失ってないと。

先のルーデルの言葉をもう一度。

ここはドイツだ。英語が話せたって、ドイツ語以外は喋ろうと思わない。どんな敬礼をしようと君らの知ったことではあるまい。我々はドイツ軍人としての敬礼法を教わり、それをそのままやっているだけの話だ。スツーカ隊は空の戦いで敗れはせぬ。我々は囚人ではない。ドイツ兵は全ての戦闘に負けたものではなく、ただ物量の重圧に屈したからに過ぎない。

尚之介が女が紛れていると告げ口。八重を助けるためですか。

誰もいなくなった鶴ヶ城に日が差し込んできて終わり。

会津側から見た幕末と会津戦争、面白かったですよ。来週は箱館戦争。

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コメント

時代を問わず戦争は建物や自然はおろか、人間関係や絆をも崩壊させてしまう。でも人々の誇りや信念までも崩壊させるとは限らないし、逆に学ぶこと、手に入れるものもある。会津も官軍もそれぞれ勝ち負けだけではない何かを見つけたのではないでしょうか。

官軍は今回は悪役だけど、情を見せるシーンも多く、鶴ヶ城を明け渡すときに綺麗に床を拭く女性たちの姿も印象的でした。尚之助が八重を突き放したのは捕虜として自分に同行するより、女として別の道を見つけてほしいと考えたからでしょうね。平家物語の木曽義仲と巴に似ていると思いました。

ぽよっぽさん、どうも
板垣退助が土足で城に入ったときに床が磨かれているのに驚いてました。あれは良いシーンですね。

八重に女としての別の道というのは確かにそういう気がします。

思わず映画「バルトの楽園」を思い出してしまいました。
第一次世界大戦に敗れたドイツ兵たちを捕虜とした四国の田舎町の収容所長(松平健)が捕虜たちに誇りを失わせないため、所内にパン工房や書籍印刷所などを作らせていました。そのお礼に捕虜たちが帰国する際にベートーベンの第九を合唱するという話です。
八重の桜とは関係なくてすみません。

ぽよっぽさん、どうも
その第九が日本初の第九だとどこかで聞いたことがあります。

Wikipediaで調べたら、この映画の主人公、松江豊寿は板東俘虜収容所長で会津出身とありました。
意外なところで繋がっているものです。

ぽよっぽさん、どうも
ここにも会津出身者が。
「賊軍としての悲哀を味わった会津藩士の子弟に生まれた体験が、大きく彼の良心的な人格形成に影響したといわれる」って出てますね。

予断ですが、西南戦争の話:

佐川と同じ会津藩家老であった山川浩陸軍中佐は、西南戦争に出征する際、「薩摩人 みよや東の丈夫が 提げ佩く太刀の利きか鈍きか」と歌っている。

また、会津藩出身で当時陸軍幼年学校生徒であった柴五郎は、西郷軍征討の詔が発せられたことを知ると、「芋征伐仰せ出されたりと聞く、めでたし、めでたし」と日記に書き、さらに西南戦争での西郷隆盛の自決と、その翌年の紀尾井坂の変による大久保利通の暗殺を合わせ、「両雄非業の最期を遂げたるを当然の帰結なりと断じて喜べり」と記している。

薩長はやり過ぎたかも。

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