食べるために殺して良いのか、同盟のために死んでも良いのか
安倍首相と民主党の海江田さんが党首討論をした日、前後に牛が死ぬときに涙を流すのに殺せるかという、まるで白熱教室のようなネタがネットにあがってました。
結論から言えば、どっちもしょうがない。
まず牛を殺せるかのとう煽りの方から。
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-7286.html
これを見ました。
牛を殺せるかと言った人は犬とかの動物愛護活動をしているようです。だったらそういう発言もしょうがないかと納得できます。でひとつの思考実験としてもし日本で牛の屠殺を禁止したらどうなるか?
農家さんは牛肉が売れないので肉用の牛を飼えなくなる。
↓
牛が野に放たれて野生化する。
↓
農作物を荒らす害獣となる。
↓
農作物を荒らす害獣となる。
↓
結局、殺される。
北海道で狼を絶滅させて、エゾシカを保護した結果、エゾシカが農作物を荒らす害獣となっていて殺されてます。
殺すのは可哀想だから殺さないと、結局は被害を出して殺すことになるのではでしょうか。
原発を停止しても最終処分場は必要というのと同じです。最後は金しかないと言った石原さんは当たり前のことを言っただけ。
目の前で涙を流して殺される牛は可哀想ではないとかと問われれば可哀想です。しかし殺さなければ牛が食べられない。ベジタリアンになればいいと言われるかも知れませんが、厚生省も高齢者は肉を食べることを推奨しています(リンク)。
牛を食べるなというのは老人に健康で長生きするなと言っているのと同じですな。
もうひとつ逆説的ですが、牛という種族は人間によって飼われることで絶滅から守られているとも言えます。マグロや鰻が絶滅の危機と言われるのは養殖できないからです。肉を獲るために牛を飼って殺すことで、牛は絶滅を免れているというシステムが出来上がっています。
目の前でペットの犬が殺されようとして涙を流しているのに何とも思わないのもおかしいでしょう。でも肉を得るために牛が殺されるのはしょうがないかと思います。
昔、ドイツの農家では秋になったら自分のうちで飼っていた豚を殺して解体してソーセージを作っているというドキュメンタリーを見たことがあります。彼らが可哀想だと思うことはあっても、殺さないという選択肢はないでしょう。
そういえばドッグフードにも肉は入っているのではないでしょうか。動物由来の医療品というのもあります。可哀想だからと動物が原料として使えなくなったらどうなるでしょう。
殺されそうになっている牛が涙を流しているから殺せないというのは、動物を殺すというだけしか考えず、社会全体からモノを見ていないということです。
海江田さんが憲法解釈を拡大したら日米同盟のために日本人が死ぬと言ってましたが、これも牛が涙を流すから殺すのは可哀想というのと同じ理論展開です。
確かに個人レベルで人が死ぬということは許せないことです。しかし個人レベルの視点で同盟を語るのは、牛の屠殺が良いか悪いかを社会レベルで論じるのと同じで無理があります。
NATOに入っていないウクライナ東部がロシア系住民が反乱を起こして分裂し、アメリカと同盟関係にあるイラクはイスラム原理主義者の侵攻を受けてますが、アメリカ軍が支援を検討しています。
殺すのは可哀想だから殺さないと、結局は被害を出して殺すことになるのではでしょうか。
原発を停止しても最終処分場は必要というのと同じです。最後は金しかないと言った石原さんは当たり前のことを言っただけ。
目の前で涙を流して殺される牛は可哀想ではないとかと問われれば可哀想です。しかし殺さなければ牛が食べられない。ベジタリアンになればいいと言われるかも知れませんが、厚生省も高齢者は肉を食べることを推奨しています(リンク)。
牛を食べるなというのは老人に健康で長生きするなと言っているのと同じですな。
もうひとつ逆説的ですが、牛という種族は人間によって飼われることで絶滅から守られているとも言えます。マグロや鰻が絶滅の危機と言われるのは養殖できないからです。肉を獲るために牛を飼って殺すことで、牛は絶滅を免れているというシステムが出来上がっています。
目の前でペットの犬が殺されようとして涙を流しているのに何とも思わないのもおかしいでしょう。でも肉を得るために牛が殺されるのはしょうがないかと思います。
昔、ドイツの農家では秋になったら自分のうちで飼っていた豚を殺して解体してソーセージを作っているというドキュメンタリーを見たことがあります。彼らが可哀想だと思うことはあっても、殺さないという選択肢はないでしょう。
そういえばドッグフードにも肉は入っているのではないでしょうか。動物由来の医療品というのもあります。可哀想だからと動物が原料として使えなくなったらどうなるでしょう。
殺されそうになっている牛が涙を流しているから殺せないというのは、動物を殺すというだけしか考えず、社会全体からモノを見ていないということです。
海江田さんが憲法解釈を拡大したら日米同盟のために日本人が死ぬと言ってましたが、これも牛が涙を流すから殺すのは可哀想というのと同じ理論展開です。
確かに個人レベルで人が死ぬということは許せないことです。しかし個人レベルの視点で同盟を語るのは、牛の屠殺が良いか悪いかを社会レベルで論じるのと同じで無理があります。
NATOに入っていないウクライナ東部がロシア系住民が反乱を起こして分裂し、アメリカと同盟関係にあるイラクはイスラム原理主義者の侵攻を受けてますが、アメリカ軍が支援を検討しています。
イラクではイスラム原理主義者が町を襲い、待ちを守っていた軍隊が逃げたして町の住人が町から逃げなくならなければならなくなっています。誰かが命を張って守ってくれなければ、非戦闘員である民間人が死ぬことになります。
結論:牛を殺すのも、同盟のために命を懸けて戦わなければならないのも、しょうがない。混乱を招く原因は個人の視点で社会全体や国家のことを論じるからです(左翼の方々はわざとそうしているのでしょうけど)。
現在世界が不安定化し、中国の脅威など危機迫る日本において、集団的自衛権の柔軟な運用は、できるだけ戦争を起こさずに日本を守る、戦争になった場合でも日本を可能な限り守るために必要な自衛隊の「ソフトウェアの更新」みたいなものでしょう。
それを人が死ぬことになるとかいう話になるのは牛を殺して良いのかと似たようなレベルの議論で意味がないです。
結論:牛を殺すのも、同盟のために命を懸けて戦わなければならないのも、しょうがない。混乱を招く原因は個人の視点で社会全体や国家のことを論じるからです(左翼の方々はわざとそうしているのでしょうけど)。
現在世界が不安定化し、中国の脅威など危機迫る日本において、集団的自衛権の柔軟な運用は、できるだけ戦争を起こさずに日本を守る、戦争になった場合でも日本を可能な限り守るために必要な自衛隊の「ソフトウェアの更新」みたいなものでしょう。
それを人が死ぬことになるとかいう話になるのは牛を殺して良いのかと似たようなレベルの議論で意味がないです。
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