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2016/08/17

満蒙開拓 村人は満州へ送られた

終戦までに27万人が満州に送られたそうです。

長野の山間部に位置する貧しい旧河野村から昭和19年8月に27世帯、95人が満州に送られて男性は徴兵され、日本が降伏した翌日、現地の人たちから襲撃を受けた女性や子供たち73名は追い詰められた末に自決する。

母親が子供の首を絞めて殺したとか凄惨です。さらに送り出した村長も首を吊って自殺。

満蒙開拓は昭和11年(1936年)に20ヶ年百万戸送出計画が閣議決定されて始まった。最終的に500万人を移住させる計画だった。立案したのが関東軍、実際に行ったのは開務省。この年の二月に二・ニ六事件があったのも忘れてはなりません。二・ニ六事件は青年将校政治腐敗の一掃やが農村の困窮の打開を掲げてく起こしたクーデター未遂事件です。

昭和15年には5万になる。

これは日本だけでなくナチスドイツも考えてました。「東部総合計画」と言います。

NHK特集では説明されていませんでしたが、日本は大正中期から慢性的なコメ輸入国です

太平洋戦争が始まった昭和16年にはさらに満州移民が増えていく。しかし開戦と共に総力戦に向けて人手が足りなくなり、一端は減る。しかし食糧増産が必要になり、満蒙開拓第二期五ヶ年計画を立案する。ここに農林省が満蒙開拓に関わりたいという省益から、分村移民(日本の母村の一部を集団移民させる)を編み出す。それは当たり前ですよね。農林省は農民と一番結びついている省庁であり、村長に圧力をかけて移民を進める。農林省が県に割り当てを決めて移民させた。しかし当の農民たちは渋る。すでに若者たちが軍に招集されており、働き手が減っていた。

皇国農村確立促進政策の導入。食料生産の実績の優良な模範農村には破格の補助金が与えられ、インフラの優先整備などの特権が与えられた。だが大きな要件のひとつが満蒙開拓への協力。

先の河野村の場合、50戸の移民を求められていたが村長が頭を下げても27戸しか移民しなかったということは強制ではなかったということの裏返し。

官僚は制海権を奪われてて満州に渡るのも危険だったのに見直されることもなく続けられた。しかし食糧難に直面していたのも事実。どっちかというと、極寒の農業出来ない土地に送り込む方がえげつないと思いますよ。そうした土地は現地民から強制的に買い上げられた土地だった。かなり恨まれた。

そして45才までの男性が関東軍に招集される。満蒙開拓への移民は北海道防衛のために東北などから入植した屯田兵みたいな、防衛目的もあったんでしょう。

そして関東軍がソ連に対して設けた防衛線は朝鮮半島の付け根だったため、開拓民の農村の大半が防衛線の外側に取り残されることになる。それでソ連軍が満州に攻め込んでくると、現地民が日本人を襲ってきた。山に逃げたが翌日になって再び追われ、現地民に捕まった村人は殴る蹴るの暴行を受けた。(たぶん死んだのでは?)子供たちが居ては逃げられない。生きて辱めは受けられない。夕方、集団自決が始まった。

第二次世界大戦でドイツが敗北するとポーランドに住んでいたドイツ人も迫害されたはず。

この満蒙開拓の話、在日米軍がなくなったあとの沖縄に敵対勢力が入ってきたら、日本政府は沖縄から手を引いて、同じような悲劇が起こるかもしれません。


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