そこまで言って委員会で司馬史観について議論してましたが
野球シーズンが終わって、久しぶりにそこまで言って委員会を見ていたら、燃えよ剣のからみで、司馬史観をやってました。司馬史観が間違ってるとか、偏ってるという意見は良いですが、そもそも歴史に時代を超越するような「絶対的な」善悪はないのだと思います。政策の善し悪しは、望んだ結果を得られたかどうかという基準で判断できるにせよ、それ以外に普遍的な善悪判断はありえません。でも今、自分が生きているこの現代(この時間)において、良いと思う、悪いと思うはありです。それが歴史の目的と言っても過言ではないです。
歴史家のE. H. カーは歴史とは何か (岩波新書)でこう言ってます。「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。」
我々が歴史においてあれは正しい、あれは間違ってるというのは、現代の知識と価値観の映し鏡ということです。歴史を通じて現代社会の価値観を見ているわけです。過去の説明では納得できないところがあるから歴史は修正されていく。それでいいのですし、そうあるべきです。
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