岡田斗司夫がこれは怪獣映画の傑作じゃない、日本映画の傑作だと言ってました。確かに怪獣が主人公の映画じゃないです。ゴジラが出てくる映画であって、ゴジラが主役の映画ではない。50代なら劇場で見て損はないです。Always三丁目の夕陽くらい泣けました。シン・ゴジラで開いた扉がさらに拡張された感じです。画面からはみ出まくりのゴジラの巨大感がまあ恐い。人が食われて、ぶん投げられて、電車が飛び、軍艦が吹き飛ぶ。伊福部昭のゴジラのテーマ曲が心を揺さぶります。
武装解除した戦後日本がどうやってゴジラと戦うと言うんだ!
―以後ネタバレです―
舞台が過去。これまでゴジラが現れるのは映画当時の「現代」でした。監督が永遠の0とか作ってるので軍艦のCGが精密だし、設定がリアル。震電というチョイスが絶妙。震電はエンジンが機体後方にあるので機首に爆弾を搭載できます!
ゴジラに掴まれながらもゼロ距離で主砲をぶちかます重巡洋艦高雄の勇姿!
四式中戦車が火を噴いた!
米軍に接収された駆逐艦の舷側に書かれる艦名がひらがなからローマ字に変更されてます。芸が細かい。海防艦の薄い外皮の貼り方がボコボコしていて実にリアルです。
今回のゴジラはいろいろ新しいです。クライマックスはゴジラとの戦いというよりゴジラ狩り。海と空からの展開が熱いです。ここで流れ続けるゴジラのテーマ曲。魂が震えます。
なぜ怪獣映画じゃなくて日本映画かというと、大きな話のつくりが、勇気がなくて特攻できずに復員し、親類にお前が特攻しなかったせいで子どもが死んだと言われ、生きる意味を失っていた青年が、ゴジラを倒すために、子どもを守るために、戦時中の悔いを晴らすために特攻覚悟で戦い、生きることを許される、とういう話だからです。
ゴジラ退治を旧軍じゃなく、民間に下った元海軍軍人がやるという義勇軍として巨大な怪物に立ち向かう。これは胸熱展開です。
海軍戦闘機の整備員である橘がこの映画の鍵だと思います。今までのゴジラに登場しないタイプのキャラクターです。序盤、敵艦に特攻しないでおめおめ帰ってきた敷島にゴジラも撃てずに仲間が死んだと非難し、死んだ仲間の家族写真を渡す。お前が命を賭けて戦わなかったせいで死んだという事実を突きつける。これで橘の出番が終わったかと思ったら、ゴジラ退治に戦闘機が必要という話になり、連合軍に接収されていなかった震電を整備してもらうために敷島が橘に連絡を取る。敷島が橘に戦闘機の整備をしてほしかったのは、戦闘機を爆弾を機首に搭載した特攻機にしてもらうためだった。敷島は過去に決着をつけたい。敷島が震電の機首に爆弾を搭載してゴジラの口に特攻をかけると橘に話をする。橘は敷島の望み通り、震電の機首に爆弾を搭載した。そして座席射出装置を取り付ける。ゼロ戦になかった装備です。そして敷島が震電をゴジラの口の中にぶつけるときにこの装置が見事成功して敷島が脱出したと無線で聞いた橘が喜んで涙する。ここが一番良かったです。橘が敷島を許した。もう誰も死ぬ必要はない。いろんな意味で戦争が終わったんだなと。敷島が震電を脱出して落下傘で降りてくるシーンが、ガンダムの最後のアムロがホワイトベースのクルーと合流するシーンに重なりました。
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