黙示録3174年
今まで読んだ本の中で“賞”をあげたい一冊は?
SF小説ならこの本
黙示録3174年です。
原題は「A Canticle for Leibowitz(リーボウィッツ賛歌)」
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今まで読んだ本の中で“賞”をあげたい一冊は?
SF小説ならこの本
黙示録3174年です。
原題は「A Canticle for Leibowitz(リーボウィッツ賛歌)」
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「悼む人」タイトルから想像するよりは、かなり残酷な話だと思います。正直面食らいました。
結論から言えば、人は他者から想われていたい。「悼む」とは亡き人が他の人々に愛されていたことを心に刻むこと。天国があるとすればそれは、生きているヒトの心の内側にあると。
音楽でいうなら HOMEを聞いた時の感じです。
本読みではないのであれですが、ストーリー構成が凄くいいです。
主人公ではない3人の主要人物が主人公的なストーリー展開をしています。映画で言えば「バベル」みたいな感じです。この3人が我々の代弁者であって、「悼む人」を触媒にして、それぞれ贖われます。このあたり、ドラマの「ヴォイス」の似ています。ドラマ全体の主人公が瑛太で、各話の主役が死んだ人。「悼む人」は瑛太に似たポジションです。あのドラマが面白ければ、お奨めします。
ただ「悼む人」の主人公、坂築静人(さかつき・しずと)はつねに客観的に扱われています。ある意味、彼は現代社会における境界人/マレビトのようです。神のようでありながら、どこまでも人間的です。客観的に書くことで静人が人ではない感じを与えつつ、3人と絡ませることで人間性を引き出しています。
あと面白いなと思ったのは、静人は死者を悼むとき、誰が殺したとか、原因を追究しないという、現代の報道とはまったく違うスタンスを取っています。原因を追究すれば、死者への想いがかすんでしまうそうです。
そういえばマザー・テレサは平和運動の集会に参加しましたが、反戦運動の集会には参加しなかったとか。それは反戦運動は戦争を憎むがゆえに、戦争を志向するからそうです。
殺されたことを憎むのではなく、死んだ人が人々に愛されていたことを心に刻む。これはとくに新しいことではなく、昔からある情動のように思います。法事とかで、亡くなった人の話をしますが、あの感じが悼むというのに近いでしょう。
静人が話を聞けば、何かしら死者のことを覚えてる人がいます。
静人(悼む人)が行っている悼みは、本来死者に対してそうありたいとヒトが願う姿勢を具現化してるように思います。
死んだとき、あなたは悼んでくれますか?
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支持率ヘロヘロの麻生総理は、金枝篇の「王殺し」は読んでおくといいかも。
【読売新聞】麻生首相は1日、JR東京駅近くの大型書店を訪れ、「マキアヴェッリ語録」(塩野七生著)や「危機を超えて すべてがわかる『世界大不況』講義」(伊藤元重著)、「読まない力」(養老孟司著)など10冊をまとめ買いした。(中略)ただ、1日に買った本のうち、日下公人氏らの共著「強い日本への発想」は、昨年11月30日にも購入したものだった。
「王殺し」とは、“古代においては宗教的意味をもって王を殺害する習慣があったとする説がある。これは、王が本来人間の身でありながら、宇宙の秩序を司る存在として君臨していたことに由来し、そのための能力を失った王は殺害して新たな王を擁立して秩序を回復させる”ために行われるのです。
アメリカでのブッシュからオバマへの流れとか、自民党内での首相挿げ替えに納得できないという感覚の一端としてこういう深層思考があるのではないかと思います。
簡単という書評がありましたが、難解です。写真がなければ途中で投げだしてました。
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ほぼ唯一、最後まで読める作家が奥田英朗。その人の旅の本。
ヘタレな感じが好きです。笑えます。一応食べる本ですよ:
すぐにボロが出るだろうから、最初に告白しておきます。わたしゃ批評ができるほどのグルメじゃありませぬ。目隠しされたら養殖と天然のちがいもわからないだろう。ワインの銘柄などまず当てられないだろう。
ええと、もう少し正直に書きましょうか。はっきり言って味覚オンチです。緑色のぺーストを「これはアボカドだね」と気取って口に運んでいたら、実は空豆でご婦人にケラケラと笑われたことがあります。
アワビとイカを間違えた拙者は共感できます。こういう人は信用できます。
韓国での垢すり話:
サウナのあとは浴室へ。ここには手術台のようなべッドが並んでいて、どうやらここで垢すりがなされるらしい。体格のいい薔薇族風のお兄さんたちに出迎えられる。
タオル、腰に巻いていい? と聞いをら、「スッポンポン、スッポンポン」と言われた。
どこで覚えたんですかね、そんな日本語。
浴槽に浸かって汗を流したのち、全裸でべッドに横たわる。あいや、丸腰とはこのこと。
またしても不安がこみ上げる。変なとこ、触らないでくださいね。
お兄さんは、垢すり用のグラブを手にはめると、死体でも洗うように荒々しく垢すりを始めた。日本の男子三名、なされるがまま。
垢すりは思ったより痛くなかった。ただし気持ちよくもない。正直に書こう。なんだか人間の尊厳を損なわれたようで、ひたすら居心地が悪いのである。全裸というのは、情けない姿なのだ。
「はい、横向いて。手を上に」そう言われて、寝返りを打つ。すぐ目の前にタロウ君が、こちらを向いて同じバンザイ・ポーズをしていた。ムスコ、だらり。お互い思わず笑ってしまう。
「奥田さんと全裸で向き合うなんて、そうないことですね」
二度とあってたまるか。東京で言いふらしたら承知しねえぞ。
参鶏湯は最後に自分で塩とかコショウ入れて味を調えるんだとか。そうか普通に食べて味が薄いなあと思ってました。
朱鷺(トキ)を見た感想:
コースを進むと:柵の十メ―トルほど向こうに濫があり、数羽のトキが羽を休めていた。
ああ、あれがトキね。とくに感想も湧かない。遠目には鶴か二ワトリなのだ。「なんや、しょうもない」こんな遠慮のない声もあちこちから聞こえてきた。うーむ、正直なところ、十人申九人は落胆する観光名所である。でもって、トキっていなくなると何か不都合でもあるわけ? なんてことも言いたくなる。税金を投入しているわけだし。
野生動物の保護というのは、ある時点から、学者や役人の既得権になるんでしょうね。
天下りもいそうだなあ。
ともあれ、一生濫の中に閉じ込めておいて保護もないものである。自由に絶滅させてやれよ。これがわたしの意見である。問題発言でしょうか。
正しいでしょう。そういう人だけじゃないでしょうけどね。
冬の宗谷岬:
宗谷岬から眺めるオホーツクの海は、人の立ち入りを拒むかのように、静かに荒れていた。水平線がわからないほど、灰色の空と一体化している。その姿に、わたしは毅然としたものを感じた。海が好き、などと無邪気なことを言うマリンレジャー系の人々をここに突き落としてみたい。海は海で勝手にやっているのだ。
ここで終わると、船越英治郎の2時間ドラマですが、もっと違うまともな展開で終わります。
こういうのをブログでも書けると良いなと思う次第であります。
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クーリエを購読していますが(いつもパラパラっと見る程度)、最近オマケがつくようになりまして今回はバラク・オバマの勝利宣言演説でした。DVDになってます。
これ英語字幕だけで、日本語字幕が入ってません。
日本語訳は雑誌に載っています。偉い人の解説がついてるので面白いです。読んでみると文法も単語もそんなに難しくないです。なのに心揺さぶるものがあります。
ジュリアス・シーザーの「来た、見た、勝った(Veni,Vidi,Vici、カタカナで書くと、ウェーニー、ウィーディー、ウィーキー)」とヒップホップ並みの語呂合わせです。
できる人は何かが違う。
勝った、述べた、全米が沸いた。
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蟹工船がプロレタリアートの悲哀であるなら(読んでませんが)、こちらは天才数学者の悲哀です。映画のようです。個人的に凹む出来事がありまして、これを読んで復活できました。
あとがきが内容の要約になっているので引用します
これら天才を追う中でもっとも胸打たれたのは、天才の峰が高ければ高いほど、谷底も深いということだった。栄光が輝かしくあればあるほど、底知れぬ孤独や挫折や失意にみまわれている、ということである。
人間は誰も、栄光や挫折、成功や失敗、得意や失意、優越感や劣等感、につきまとわれる。そしてそれは自らの才能のなさのため、と思いがちである。否。天才こそがこのような両極を痛々しいほどに体験する人々である。凡人の数十倍もの振幅の荒波に翻弄され、苦悩し、苦悶している。
天才がこのようなものと知ってから、天才は私にとって神ではなくなった。自ら進んで創造の苦しみを肉体にそして骨にくいこむほどに背負って歩いた人。たまたま運良く、あるいは運悪く選ばれたため、この世にいて天国と地獄を見た人といってもよい。
壮絶だなと。皆さんあまり長生きしてません。
ブレードランナーの人生はロウソクだっていうのを思い出します。
2倍激しく輝けばそれだけ早く燃え尽きる。
数学者は芸術家なんですね。
ニュートンや日本の関孝和を始め、アラン・チューリングも紹介されてますが、面白いのはラマヌジャンの話。
ラマヌジャンは「我々の百倍も頭がよい」という天才ではない。「なぜそんな公式を思い付いたのか見当がつかない」という天才なのである。アインシュタインの特殊相対性理論は、アインシュタインがいなくとも、二年以内に誰かが発見しただろうと言われる。数学や自然科学における発見のほとんビすべてには、ある種の論理的必然、歴史的必然がある。
だから「十年か二十年もすれば誰かが発見する」のである。
ラマヌジャンの公式を見て私が感ずるのは、まず文句なしの感嘆であり、しばらくし
てからの苛立ちである。なぜそのような真理に想到したかが理解できないと、その真理自体を理解した気に少なくとも私はなれないのである。それは誰かが、我が家の柿の木の根元に金塊が埋まっていると予言し、それが事実だった時の気分である。事実は認めても、予言の必然性や脈絡をたどれぬ限り苛立つ。
数学では、大ていの場合、少し考えれば必然性も分かる。ところがラマヌジャンの公式群に限ると、その大半において必然性が見えない。ということはとりもなおさず、ラマヌジャンがいなかったら、それらは百年近くたった今日でも発見されていない、ということである。
数学さっぱりわかりませんが、こう書かれると数学の巨人だということがわかります。
マヌジャンは自分で論文が書けないのでハーディーという数学者が書いていたそうです。映画アマデウスの最後で、モーツワルトがレクイエムを口ずさみ、それをサリエリが楽譜に書いていくシーンみたいです。
最後のフェルマーの定理を証明したアンドリュー・ワイズは良い話で終わってました。
最後の感想:
なせばなる なさねばならぬ 何事も なさぬなら 人のなさぬなりけり。
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これまでのヴィンランド・サガ(ERとか洋ドラ系で読んでみましょう)
サガと言っても佐賀ではございません。いわゆる「サーガ」です。長いお話なんです。主役が3人、トルフィン、クヌート、アシェラッド。アシェラッドなしにこの話は考えられません。
9月号でビョルンがアシェラッドと決闘して死んだんですよ!
ヴァイキングのキノコ食べてベルゼルガになっちゃう漢のビョルンが、アシェラッドに「あんたと友だちになりたかったんだ!」って言っちゃう。久々に聞きましたこんな台詞。「(ヴァルハラに)送ってくれ」って言うのもググっときます(戦って死なないとヴァルハラには行けないそうな)。
来月号はアシェラッドとトルフィンの対決です。
これと「ぷ~ネコ」がアフタヌーンからなくなったら極めて残念です。
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これは押井守版「バカの壁」なのです(たぶん)。
対象はオタクな若者。北島康介とかではないです。
「若さに価値などない」と言い放ち、「車が趣味です」という親父は所詮ローンを払ってるだけで、妻に隠れてプラモ作ってる親父の方が趣味として充実していると喝破しています。映画監督なのに映画より面白いんですよ(ストレートだからかも)。
若者よ結婚しなさい論:
確かに、子犬を連れて帰らなかったことで、あなたの暮らしは昨日までの暮らしと何ら変わらない、穏やかなものになったかもしれない。だが、子犬を連れて帰っていれば、もっと楽しい、豊かな生活があったかもしれない。それこそ、旅行なんか行きたくもなくなるような、毎日の散歩が苦行ではなくて、楽しくて仕方ないような、そんな暮らしがそこにあったかもしれないのだ。
あなたは何も捨てていないようで、実は大きなものを捨てている。少なくとも、何も選択しないうちは、何も始まらない。何も始めないうちは、何も始まらないのだ。
子犬は単なるたとえ話であって、これは人生のあらゆる局面に言える真実だ。もっといい女の子が現われるかもしれないと、いつまでも彼女を作らないようでは、いつまでも彼女は作れないし、いつまでも結婚できない。いつまでも結婚しなければ、いつまでも子供が生まれない。
もっといい家が見つかるかもしれないと、いつまでも家を買わなければ、いつまでも家を買えない。
なかなか面白いです。この後、さらに子犬の話が続きます。押井守は多感だなと思いました。
さらに面白いのは:文明がロリコンを生んだという話から
「文明化は親を虐待へ誘惑する」という展開に:
・・・このように、文明化はすべてにおいてすぼらしいことばかりではない。文明化は、生物としての退化を人類に強いることになる。ロリコン男が幼い子を手にかけるのは、そうした文明化の表れとも言える。自分の遺伝子を搭載している子を守ろうとするはずの親が、我が子を殺してしまうなどという悲劇は、本来は起こりえないことであり、それはもはや親としての本能がまともに機能していないということを意味している。
これまで検証してきたように、文明化という働きは、性欲という最も根源的な本能さえ無力化してしまう。性が商品化されたことで性欲が文明化された。ひょっとしたら育児マニュアルのような子育ての文明化が、母親たちの本能を狂わせているのかもしれない。子供の成長が思わしくないからと言って、子供を殺してしまうという矛盾した事件も起きているが、それも、子育ての文明化という文脈で読み解くと、意外に当然の帰結のような気もする。
とにかく、本来ならぼ本能に任せておくべき分野にまで文明化の波は及んでいる。高度に文明化した現代社会では、あらゆることが商品化され、消費されている。郊外のパチンコ店には広大な駐車場が完備され、道路が整備されてアクセスが便利になり、小さな子供を育てる母親でも簡単に行くことができるようになった。
そこまで便利になれば、当然のように欲望にかられて子供連れでパチンコに行く母親が出現する。そして、車で寝ている子供を置き去りにして、パチンコに興じることになる。そうやって、熱射病で何人の子供が命を落としたことだろうか。
そんな罪を犯した母親に「それが母親のすることが」といくら糾弾したところで、意味のないことだ。かつて、身近にパチンコ店などない時代は、赤ん坊をかかえて、汽車に乗って、パチンコ店のある都会まで出かけて遊ぽうという母親などいなかったはずだ。どんどん社会を便利にして、母親たちを誘惑しておいて、「子供を置いてパチンコするとはけしからん」と糾弾するのはご都合主義に過ぎる。(98-99)
かなり極論ですが、そういう側面もなくはないと思います。読書感想文には使えなそうです。
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本屋のカウンターに平積みになっているのが目に止まり、帯に「もっと若い時に読んでいれば…」と書いてあったので買って読みました。
確かに「もっと若い時に買って読んでいれば」と思いましたが、若い時にこれを読んでもあまりいけないかも。苦労したとか、失敗した経験があって読むと良い本かもしれません。
若い人には薦めません(笑)。
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私は貧乏です。なんとかしたいです。そこで1冊啓発本を読みました。
これです。100万円で生活(家族4人なら300万必要だそうです)。魅力的です。
つまり100円万以上の収入があれば、余剰金は他のことに使えます。
ゲームが買えます。DVDが買えます。そして
暖房費が確保できます。
これは死活問題です。
では面白かった点を
1.一番重要なのは心の持ちようです。
まずは健康が1番、健康でなければ働けません。
健康のためには粗食。
高い食べ物は体に悪い!
2.年金手帳は大切に。
年金受給者には「年金担保融資」という制度があっていざという時にお金が借りられるそうです。
3.貧乏宣言をする。
付き合いでの出費を減らすためにもっとも有効な方法だそうです。
贅沢は敵です!
4.車を持たない。年間40万くらいかかるそうです。
田舎では厳しいですね。
しかし都市部であれば、下手に駅から遠くて安い物件より駅に近い物件がお徳かも。
最後に1月の出費計画が載ってました。
| 項目 | |
| 住宅費 | \30,000 |
| 公共料金 | \10,000 |
| 医療・共済 | \2,000 |
| 食費 | \30,000 |
| 小遣い | \6,000 |
| 貯蓄 | \5,000 |
| 合計 | \83,000 |
とにかく8万3000円に抑えられればなんとかなります!
拙者はタバコを吸いません。
もしも1日1箱吸ったとすれば、300X365円=109500円になります。しかし実際は吸っていないので、11万円浮いたことになります。
というけど炭酸水とコーラはやめられません。1日1本でも150円X365=54750円。
節約の道のりは遠いです。
拙者のプランを披露
| 項目 | |
| 住宅費 | \10,000 |
| 公共料金 | \10,000 |
| 医療・共済 | \14,065 |
| 食費 | \20,000 |
| 小遣い | \10,000 |
| 通信費 | \14,000 |
| 本とかDVDとか | \5,000 |
| 貯蓄 | |
| \83,065 |
住宅費と食費が安いのは実家だから。ダメな息子でスマン。
貯蓄…ねえ(笑)
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この本、売れてるみたいです。たしかにそこら辺の小説より面白いです。金と利権がらみの犯罪の仕組みがよくわかります。
田中森一(たなか・もりかず)は長崎の極貧の漁民から、検事となり 高い実力を買われて東京地検特捜部の検事になりますが、検事を辞めて闇社会の弁護士として名を轟かせ、最終的に石橋産業事件において詐欺で実刑判決を受けて上告中という、松本清張でも書きそうな話です。
実話ですから、話がリアルです。検事がどうやって容疑者に自白させるのか、その強引な手法というか心理戦が書かれています(ちょっと自慢入ってるかも。でも面白いです)。
阪大汚職事件では、阪大の経理部長にワープロ会社から賄賂がわたっていることを確かめるためにこの経理部長の愛人を呼んで、「あんた、やつの女はあんただけやないんやで」、その金は東京の女から来ているだと教えて、経理部長との関係を認めさせてます。
きっと守屋元防衛庁の奥さんとかもこういう攻め方されたのではないでしょうか。恫喝して精神的に追い詰める方法もあります。絶対に掴まりたくありません。
ニュースの「特捜地検の取調べ」の行間が埋まるような話しが満載です。
防衛省は今は商社との癒着が取り沙汰されていますが、三菱重工CB(転換社債)事件では、この転換社債を使って三菱重工から防衛族議員に利益供与されたようですよ。だけれどもさまざまな圧力によって立件されなかったそうです。
前半は検事時代、後半はヤメ検弁護士という構成になっています。
この弁護士時代の方が途轍もない。
書き方なのかもしれませんが、貧乏人から這いあがってバブル時代に強引に巨万の富を手中に収めて自滅した人たちの話は、なにか悲哀に満ちています。
仕手筋の株の儲け方とかも書いてましたが、金融工学では太刀打ちできない世界です。
これが一番参考になったかも。
ニュースの行間がわかる本です。
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6年前に911事件でワールドトレードセンターが倒壊して、アメリカはアフガニスタンとイラク戦争に踏み切りました。イラク戦争反対論が強まる中、あえて読んでみる「ファルージャ 栄光なき死闘」
テロ特措法反対の小沢一郎さん、これ読んで下さい。
パウル・カレルの「焦土作戦」や「バルバロッサ作戦」を髣髴とさせる内容です。ファルージャの戦いにおけるアメリカ軍の戦闘詳報をそのまま本にしたんじゃないかというくらい緻密です。「海兵隊は最強だ」はある意味嘘じゃない。困難に立ち向かう姿に感服します。
ファルージャは武装勢力の牙城であり、それを掃討すべく海兵隊がファルージャ市街を制圧するはずが、途中で作戦中止命令が出たりします。しかし最後にはファルージャを制圧します。
海兵隊はアメリカ政府の政治的失敗の尻拭いを命じられ、それを血と銃弾で遂行したのでした。
戦闘は混乱し、どこからともなくディッシュダッシュ姿の武装勢力が出没してAKをぶっ放し、家に隠れた海兵隊員は四方八方から銃撃やRPGの猛攻を受けるという具合です。死闘とはこういうことを言うのですよ。
国際世界のイラク戦争認識はアルジャジーラによって形成された部分があるとの指摘が出てきます。それは正しいでしょう。武装勢力は正義の味方じゃないです。アメリカの軍事占領からイラクを解放しようとしているのでしょうが、目的はなんですか?
この本を読んでると、無能なイラク人の長老と武装勢力に心底にむかつきます。武装勢力は言うなれば武装ヤクザです。権力と金を暴力で支配したいだけの連中です。彼らがイラクの将来を考えてるというなら、警察署に自爆テロとかおかしいですよ。
第27章「地獄の家」と28章「五人の伍長」は熱いです。
第27章、強力な敵の手によって次々と海兵隊員が倒れていきます。その敵の正体が最後にわかります。アルジャジーラがいないと断言していた連中です。
崩壊しつつあるイラクを救おうとした新生イラク軍大隊司令官のスレイマン中佐に冥福を。
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短いので一気に読めます。面白いです。ですが一気に読まない方がいいかも。展開がみんな似ています。森田療法とか本文に出てきましたから、それを実践する形になってるのかもしれません。読んでるときはそんな考えも浮かばずにひたすら面白いです。
変な精神科医を通じて、悩める人たちがはちゃめちゃなことになって自己治癒していく話しです。映画版でオダギリジョーが演じているらしい(まだ見てません)勃起が収まらない男の話は変さ加減が際立ってました。苦痛と羞恥が絡む喜劇は最高です。サディストか?
携帯を手放せない高校生の話を読んで、「豊かさの精神病理」を思い出しました。
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「中国の大盗賊・完全版」は毒舌です。人間味溢れる中国史解説です。
毒舌の一端を…
儒家は冠婚葬祭、儀式業者である。
こういうストレートな言い方、惚れてしまいます。
高校の世界で中国史をやりましたが、これを読むと、そういう裏があったのかと思います。中国と日本は、社会システムやメンタリティーが根本的に違うんです。日本の常識で、中国は語れないとわかりました。
中国で身代金目的の誘拐犯が人質をとるときは、子供でなく爺さんを取るそうです。その方が家族から金が集まるからだとか。
先日、項羽と劉邦を読んで、劉邦がチンピラみたいなのからのしあがったというのはわかったですが、明の王朝の太祖、朱元璋も盗賊一味だったとか。
盗賊とは、土地を持たないあぶれた農民がなるもので、これは官軍と持ちつ持たれつの関係を築いてたりします。官軍のほうも、元々あぶれた農民なので、どっちもどっちなんだそうです。
明王朝末期、いろんな盗賊が中国で暴れるのですが、首領クラスが官軍に窮地に追い込まれても、降伏すると官軍の大将にしてもらえるという話も載っています。
明を滅亡させた李自成は中国では人気がある人物だそうです。そして中国の歴史史観(共産党史観)ではいろいろご都合的に弄繰り回されているようです。李自成は地主階級を敵に回して、農民政権を樹立したとか、これでは歴史ではなく、共産党を正当化するプロパガンダです。
満州族は満洲族が正しいそうです。それは文殊のことで、女真族が文殊菩薩を信仰していたからそう自称するようになったと。ためになります。
びっくりしたのが太平天国の乱の洪秀全。これは結構笑えます。洪秀全の部下に楊秀清というのがいて、この男にはエホヴァの神が降臨して(演技ですが)、リーダーの洪秀全をひっぱたいたり、洪秀全と同じ「万歳」という位にしろと言ったりして、堪忍袋の緒が切れた洪秀全に殺されます。それに怒った楊秀清の部隊と洪秀全との間で衝突が起こり、首都が戦闘状態なったとか。どんな太平天国なんだか。
この洪秀全も、毛沢東時代の歴史史観(共産党史観)には偉い人だったのですが、それ以降は反動的のレッテルを貼られています。しかも、この正反対の論文を同じ歴史家が書いているあたり、我々とは何かが違います。
毛沢東のスローガンは「造反有理」(=お上をやっつけるのは良いことだ)。この人に正義という文字はない。スターリンに「マーガリン・マルクス主義」と揶揄されたとか。バターの振りをしているが、実はバターじゃない。そりゃ中ソ紛争だって起こります。
毛沢東はトウガラシが大好きだそうで、血の気が多いんですね。「政権は鉄砲から取り出す」と豪語します。
中国共産党は1927年に秋収暴動を起こしますが、これは農民一揆のようなものではなく、中国工農革命軍が起こしたものであり、しかしその大半は「ゴロツキ」の集まりだったそうです。
文化大革命では、他の王朝で儒家を殺したようにインテリ狩りが行われます。
最後の感想として、歴史が国体維持のためのプロパガンダになっています。これを勉強させられた中国国民に歴史認識の是正を訴えても埒があきません。無理です。
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「ロング・グッドバイ」は、レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ(清水俊二訳)」を村上春樹が翻訳しなおした物ですが、紀伊国屋に平積みされていたで買ってみました。
村上春樹とか全然読みませんが、
マーロウはかっこいい。いいやつだ。
こういう文章は好きです、このシニカルで冷めて乾いた感じが、たまりません。
私はスツールを降りて、そこで彼女を待った。彼女は誘いを無視するかもしれないし、しないかもしれない。べつにどちらでもいい。このセックスしか頭にない国であっても、ときには色事とは無縁に、男女がただ顔を合わせて会話をすることはできるはずだ。(224ページ)
チャンドラーはアメリカ社会が嫌いなんじゃないかと思います。
小説の季節は夏らしく、北海道なのに30度になった時にちょうど読んでいたので、なんか良かったです。
ギムレットが何度も話に出てきます。
第52章の最後:
「ギムレットを飲むには少し早すぎるね」
これで読者はニヤリとするわけですよ。
最後の箇所を清水俊二訳と比較してみたのですが、全然違います。
清水俊二版:
やがて、足音がかすかになり、ついに聞こえてなくなった。私はそれでも、耳をかたむけていた。なんのためだったのだろう。彼が引き返してきて、私を説き伏せ、気持を変えさせることを望んだのであろうか。しかし彼は戻ってこなかった。
村上春樹版:
足音は時間をかけて遠ざかり、やがて沈黙の中に吸い込まれた。それでも私は耳を澄ませていた。何のために?彼がふと歩を止めて振り向き、引き返してきて、私が抱えているこの胸のつかえを取り払ってくれるひとことを口にすることを求めていたのか?いや、そんなことは起こらなかった。
英語(調べてみました):
After a while they (his steps) got faint, then they got silent. I kept on listening anyway. What for? Did I want him to stop suddenly snd turn and come back and talk me out of the way I felt? Well, he didn't...
もうちょっと前に戻って第50の最後もちょっと違います。
清水俊二版:
こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、その言葉はいつも正しかった。
さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ。
村上春樹版:
フランス人はこんな場にふさわしいひとことを持っている。フランス人というのはいかなるときもその場にふさわしいひとことを持っており、どれもがうまくつぼにはまる。
さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。
英語(調べてみました):
The french have a phrase for it. The bastards have a phrase for everything and they always right.
To say goodbye is to die a little.
これはアメリカで40年代に流行った歌(Everytime we say goodbye (I die a little) )が元になっているとか:
離れるのは少し死ぬことだ。それは
愛するもののために死ぬことだ。
どこでもいつでも、人は
自分の一部を残して去っていく
あまり文学がわからないので、この解説を読んでやっと腑に落ちました。
マーロウって人間くさい。
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東京国税局から約35億円の申告漏れを指摘された「ハリー・ポッター」の翻訳者松岡佑子さん(63)が、自分はスイス居住で、日本での課税処分は不当として、居住国の判定について日本とスイスの相互協議を申し立てていた問題で、両国は11日までに、日本が実質的な居住国との結論を出した。日本居住との結論が出たことで、別に申し立てていた課税処分への異議が認められる可能性もなくなった。
節税はありでしょうけど、これはやりすぎの域では?
国税庁に魔法は通じないようですな。
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適材適所という言葉がありますが、これは「適材適書」です。著者である杉本信行という外交官が中国に赴任し、ODAを中国側の優先順位でなく、日本の優先順位で行わなかったら、この本にあるように中国の内情が見えなかったことでしょう。
序盤は著者が初めて中国に行ったときの話しから始まります。
特に興味深かったところを書いていきます。
第十章「搾取される農民」というタイトルはある意味生易しい。中国の農民は奴隷以下です。共産中国において農民は「身分」なのです。ある農家の年収は日本円で2000円程度の極貧にあえぎ、食べるのにも困っています。そして都市住民が受けられる行政サービス(年金、医療保険、失業保険)を農民は一切受けられません(理由は農民は生産手段である土地を保有しているから)。
しかも地方の役人が困窮する農民から勝手に税を取り立てるという、これは共産主義ではなく封建社会ですよ。農民が都市で働きたくても、「農村戸口」と呼ばれる戸籍のために都市に移動できません。これは歴史で言えば「農奴」です。
しかも中国政府は共産党との二重構造になっているので、役人の数も二倍。しかも農民を助けず、搾取している。災害が起こったときに日本から送られた衣類の良いものは、役人が持っていったとか。
喰うに困った農民は都会に出てくるわけですが、違法なために子供は公的な教育を受けられないし、差別も受ける。貧しいから馬鹿にもされる。これが社会的問題にならないはずがありません。
中国には九億人ほどの農民がいるそうです。
中国の歴史においていくつの王朝が農民の反乱によって倒れてきたことか。
第九章に中国の水不足の問題が書かれていましたが、これは極めてまずいです。
水がなくなれば「文明崩壊」します。
この2冊もお勧めです。これまでに自然を利用して繁栄し、自然を壊したために滅亡した文明について書かれています。日本は自然を保全したから文明を保てたとも書いています。
中国が世界経済に与えている影響について:
中国のGDPは世界の総GDPの4%しかないものの
鋼材消費は世界の27%、石炭31%、セメント40%、アルミ25%、石油7.4%だそうです(p271)。
そしてGDP1万元を生み出すために必要なエネルギーは日本の9.7倍、世界平均の3.4倍だそうです。無駄が極めて多いということです。為替が変われば、競争力がなくなると言えます。
社会格差の拡大によって生まれた経済的弱者の不満が高まるなか、共産党は独裁の正当性を確保するため(反政府運動が起こらないように)、反日政策を掲げるだけでなく(共産党の御旗のもとにナショナリズムを煽るということでしょう)、経済発展も追及しなければなりません。
そのため「経済成長率を高めることが、国家レベルでも地方レベルでも至上命題となり、消費が伸びなくても、(工場や住宅などの)固定資産投資を伸ばせば一定の成績(経済成長率)を上げられることから、彼らはそうした政策(固定資産への重点投資)に走らざるを得なかった」(p274)。これが中国の建設ラッシュです。
普通建設は経済のバロメーターになるのですが、中国は真逆だということです。
さらに不良債権処理についても、貸出総額の中の不良債権を減らすのではなく、貸出を多くすることで不良債権の割合を減らすという暴挙に出ています。これを著者は「底なしの不良債権問題」と呼んでいます。
増やした借金はいつか返さなければなりません。日本のバブルがはじけた後どうなったのか考えれば、中国のバブルがはじけたときにはどうなるか想像に難くありません。
中国に期待する方も、中国を脅威と感じる方も是非ご一読を。
日本のODAが「日本の協力」でできたという風に看板を掲げるのに苦労したという話も載っています。中国に先進国のルールは通用しないことがよくわかります。
明治維新から太平洋戦争へと至る日本が再現されているのかも。
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江戸って面白いじゃないか!銭が商品なんですよ。今のマネー商品(外国為替)と同じように銭の値段が金貨や銀貨に対して上がったり、下がったりします。水売りとかも出てきます。水も売ってたの!銭を通して江戸の経済システムがちょっとわかります。
話としては
銅が高騰して銭に回せなくなって、鉄銭を作るという状況の中で、昔からある深川銀座(主人公である賽蔵)と巨大資本と権力を後ろ盾にした新興勢力の亀戸銀座の熾烈なシェア争いを軸にした人情話です。
利益がすべてのグローバル化経済に対する、人の結びつきが重要なローカル経済(深川)の対抗とも読めます。というかそう読むと面白いです。最終的には良い話で終わります。すかっとします。
史実的には違うところもあるようです。詳しくはアマゾンのレビューを読んでください(kh生という人のレビューを参照)(※「だいこん」も史実と違うとか)。
しかし設定と話しがうまく絡み合ってると思います。ここまで実際うまくいくかどうかは別にして、山本一力という人はなかなかビジネスに詳しいと見ました。
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エウレカセブンに「金枝篇」というのが出てきまして、あれ実際にあるじゃないと思ったのですが、膨大なページ数の上にかなり高額だったので、図説金枝篇を買って読みました。
エウレカセブンでも言っている「王殺し」の話は非常に興味深い説明がされていましたが、あまり関係がないような気がします。それよりはエウレカと大地との関係の方が金枝篇を読んで近いようです。
なぜに忘年会とかクリスマスを年末にやって正月なんだと思っていましたが、これを読んである程度わかりました。忘年会の必要性もわかりました。どうも感覚がずれているので忘年会とかなぜするんだ?という疑問があったのですが、これで納得できました。別に忘年会のことを書いているわけではありませんが、年末(冬至)にどんちゃん騒ぎをする文化が多いのです。しかも無礼講で。
人身御供の話も面白いです。あれは神の代わりである場合もあるそうです。
あと王殺しは王の霊力が弱まる前にその霊力を他の人間に移すために行われたそうです。また願いが聞き届けられないときは神を殺す場合もあるそうで、興味深いです。ムッソリーニとか英雄でしたが、最後は市民に死体をナイフで何度も刺されていたのを思い出しました。
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仕事が一段落するのでそれにあわせて購入します。
このサイトからハートオブアイアンをご購入頂いた方、本当にありがとうございます。おかげで今まで買えなかった本が買えました!
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最低でも53人を殺した(その大半が未成年者)チカチーロが捕まるまで(なかなか捕まらなかった状況)を描いたドキュメンタリーです。
書き方が推理小説のようです。情景の描き方が小説ぽいです。登場人物の心情表現もかなり突っ込んでいます。
警察(民警)は犯人を捕まえられず、死体が次々と発見されていきます。ほとんどの場合、男女問わず無数の刺し傷があり、性器が切り取られているというものです。
民警は誤認逮捕はするし、自白を強要するし、科学捜査はいい加減です。ソ連だから仕方ないという書き方をしていますが、日本もあまり変わらないのじゃないかと思います。犯人像を間違って絞れば当然逮捕はできません。男の子と女の子を殺しているから犯人は2人(同性愛者と異性愛者の2人)よる犯行ではないかと民警は推測します。一般通念なから犯人を推しているだけで、犯人像を見誤ったということです。
こういう凶行を重ねる殺人鬼が誕生した理由は12章の「殺人犯の横顔」に書いてあります。とにかく屈折した人間像です。あれは屈折するなというすごい状況で育ったのです。スターリンの圧政が生み出したといっても過言ではありません。
ウクライナ人だった両親はスターリンの弾圧を受けて強制収容所に送られて食べ物もろくない環境で生まれたそうです。栄養失調が原因と考えられる水頭症の兆候があり、それが原因してか早濡だったそうです(うまく勃起しないそうです)。しかも母親が癇癪もちでそうとう抑圧されていたようです。
彼が性的興奮を得られるのは他人を虐待している姿みたいです。劣等感と抑圧の反動でしょう。頭脳は良いほうですが、劣等感が強すぎて人間関係の構築、とくに人の上に立つことはできない。彼は勃起しない性器の代わりにナイフで刺すという行動に出たのだそうです。不能に対するコンプレックスもある。馬鹿にされて殺したという話もチカチーロ自身がしています。
個人的な解釈ですが、自我があるので抑圧を突破しようとする。それが人が死ぬ姿(死んだ姿)を見て興奮するということに結びついていると思います。
日本でも同じような家庭環境は起こりうるでしょう。口をふさいで苦しむ姿に興奮するという少年の事件があったと思うのですが、それもこのチカチーロに似ているのではないでしょうか。
ソ連でこんな危ない人間が53人も殺せたのには、ソ連社会特有の「ことなかれ主義」があったと筆者は言っています。家族でもまずいことには蓋をしておこうという姿勢です。
昨今の日本で起こる事件の背景と似てる気がします。他人事ではないと思いました。
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映画化もされた原作を読みました。単行本版は上下巻に分かれています。表題のアトランティスが超能力のことかと思いましたが、まったく違ってました。
50年代後半から60年代のアメリカ文化がてんこ盛りなのでアメリカ人が読めばノスタルジックに思うはずです。あの感じは「タケシくんはい!」みたいな感じでしょうか。ただし話は結構エグイと思いますよ。精神的にきます。
50年代、60年代に生まれた人が読むと共感すると思います。そうするとあの最後《天国のような夜が降ってくる》はそうとう良いはずです。
映画版はわかりませんが、小説に関して思うのはベトナム戦争が重要な転換点です。話は最初の少年時代がベトナム戦争前、そしてベトナム戦争、ベトナム戦争後という展開になっています。ベトナム戦争中の大学のキャンパスの話で「アトランティスが沈む前」という表現が出てきます。主人公は複数です。上巻に関して言えば《ブレイカー》のテッドとボビー少年ですが、下巻は話によって違います。
最後がすばらしく良いですよ。
やたらにアメリカものが出てくるので知っている限り書きたいと思います。
ルートビア(リンク→http://gpzagogo2.fc2web.com/)
ドクターペッパーかチェリーコークにバニラを加えたようなすごい味です。あれはすごい。
キャッセロール(長方形の大きなグラタン皿と思っていただければ良いと思います。オーブン焼きですかね。豆とソーセージのキャッセロールというのは、ケチャップ味の豆とソーセージを混ぜてオーブンで焼いたものでしょう。)
下巻の大学の話
日本と違って大学に入学した時点で学科はありません(しかし学科によって一般教育課程で履修しなければならない科目が決まっているので進路によって取る科目は違ってきます。)
科目の期間
大学によって違うのですが、この小説の州立大学の場合、セメスター制だと思います。8月から12月までの秋のセメスターと1月から5月の春セメスターです。予備試験っておそらく中間試験だと思います。
成績の平均(GPA)
A=4、B=3、C=2、D=1、F(落第)=0
2.25ということはCよりちょっと良くないといけません。
ジェロー
ゼリーのことです。アメリカで「ゼリー」というとジャムになります。
ターンパイク
有料道路のことです。
ホビット村
指輪物語の「ホビット庄」かと(原文によりますが)
マルタの鷹がGyaoで配信してたので見ました。LAコンフィデンシャルみたいな映画でした。古い映画ですが、どんでん返しが良いですよ。
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直感の七割は正しいという帯のキャッチが気にって買ってしまいました。
どんな本でもそうですがアナリストの本と実践している人の本とでは話の重みに違いがあります。ただ実践している人の本も危険で、理想を書いている場合も多いと思います。この本はそういう意味で地に足のついた本になっていると思います。
自分と思考パターンが似ているので納得できたということもあると思います(似ているだけで将棋もさせませんし、なんのチャンピオンにもなっていません)。
経験には良い経験と悪い経験がある。
「経験を積んで選択肢が増えている分だけ、怖いとか、不安だとか、そういう気持ちも増してきている(32ページ)…そういうマイナス面に打ち勝てる理性、自分自身をコントロールする力を同時に成長させていかないと、経験を活かし切るのは難しくなってしまう。(33ページ)。
「決断のための情報が増えるほど正しい決断ができるようになるかといえば、必ずしもそうはいかない(56ページ)」そう思います。
変な話ですが、ことわざと同じです。「急がば回れ」と「鉄は熱いうちに打て」とは真逆です。しかしいろいろな物事の展開をみると両方正しいと思います。
将棋には「手を渡す」という方法があるそうです(マンシュタインの「後の先」みたいです)。「自分が思い描いていた構想とかプランをそのまま実現させることではなく、逆に相手に自由にやってもらい、その力も使って、返し技をかけに行くことだ。…この選択は気持ちに余裕(自信)がなければできない。(38ページ)」
またこういうことは実践してみないと理解の仕方が深まらないとも言っています「理解度が深まらないと、そこから新しい発想やアプローチも思い浮かばない。いろいろ試したり、実践してみたことこそが、次のステップにつながっていくのである(39ページ)」
未知のフィールドで戦うほうが面白いとも言っています。「未知の世界に踏み込み、自分で考え、新しいルートを探し求める気迫こそ、未来を切り開く力になる(39ページ)。」とうぜんそれにはリスクが伴うわけです。しかしリスクを背負わなければ決断はできない。剣豪同士の勝負の例えが良いので引用します。
お互いに離れていては勝負がつかないから、前へ進まなくてはいけない。前に進むとそれだけ危険が迫る。怖いから下がりたい気持ちになるだろうが、一歩下がっても、相手に一歩間合いを詰められるだけだ。状況は変わらない。逆に言えば下がれば下がるほど状況が悪くなるのだ。怖くても前へ進んでいく、そういう気持ち、姿勢が非常に大事だと思っている。
そのためにはプラス思考が重要なようです。といえば当たり前ですが、思い込みだけではどうにもなりません。ちゃんとテクニックもあるようです。持ち時間が少なくなっているときには「見切る」必要があるそうです。二者選択でどっちもダメなら、まったく読んでいない手の方が可能性がひろがるそうです。(111-112ページ)
「終盤に有効な手は、やわらかい手だ。それを探す作業にもなる。やわらかい手とは、幅の広い、意味のたくさんある手だ。また遅い手もいい手だ。急いでいくとその力を相手に使われて反撃されてしまう。」(112ページ)
将棋も同じ戦略でずっと勝てる訳ではないそうです。日々研究されてそれを破る手が出てくるという話しが出てきます。という話を前提して
私は「小さいころから始めたほうが伸びる」というのは疑問に思っている。何事も年齢が上がってから覚えた人は、感覚より知識に頼る傾向がある。だからといってダメというわけではない。将棋の世界では、将棋の質がとんどん変わっていっており、フォームを矯正しなくてはならない場面が必ず訪れる。小さい頃に身につけたフォームを新しく変えるのは大変だ。感覚より知識で覚えていたほうが忘れやすいので、次を受け入れやすいということもある。自分のスタイルを新しくすることもできるし、進歩や変化に適応しやすいといえるだろう(174ページ)
これが特に印象に残っています。
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小説「ニューロマンサー」でサイバーパンクの火付け役になったウィリアム・ギブソンのインタビュー・ドキュメンタリー(ウィリアム・ギブソンとの対話)がAIIで無料配信中です(会員のみですが、会員費はかからないようです)。
リンクはこちら(http://screenplus.jp/contents/aii_jp/cinema/c_s0194/c_s0194.html)
面白かったですよ。ウィリアム・ギブソンには社会がどう見えているのか。国境的な制限がデータのやり取りという面で存在しなくなっているという話です。確かにソニー銀行には「支店」はないですが、日本中どこにいてもインターネット接続すればアクセスできます。携帯で支払いできたりできます。あれが書かれた社会に気がつかないうちになってるんでしょうね。
そのうちサイバースペース(電脳空間)の「サイバー」は「電気」みたいに日常的になりすぎて使われなくなると言ってました。電気掃除機、電気洗濯機たしかに「電気」とはもう言わないですね。
電脳空間の着想はゲームセンターで子供がゲームをしているとき思いついたそうです。あの子供たちはゲームの「中」でプレイをしてるんだと。MMOなんか完全にサイバースペースですな。
そしてインターネットは人間神経系の拡張だと言ってました。これって「地球幼年期の終わり」での意識の拡張のひとつの形ではないかと思います。クラークはそれを生物的進化という形で表現したわけですが、現在の社会はあれでいうなら<上主>的なアプローチでそれを成し遂げているのではないかと(クラークの進化は科学を超越してますから、完全には当てはまりませんけども)。
実はアメリカの南北戦争時代に銀板のヌード写真が登場していたらしいです。北軍の兵士はそれをポケットに忍ばせて戦っていたわけですね。なんでそんな話になるかといえばインターネットの普及には「アダルト」が大きな原動力になっている話につながるからです。とってもサイバーパンクです。
途中でU2のボノがニューロマンサーの冒頭部分の朗読をしますが、ニューロマンサーはやっぱりカッコいい。あれはレイモンド・チャンドラー風だと本人も言ってました。納得です。アウトローなハードボイルド系。ブレードランナーと似てるのもうなずけます。
ドラッグはやめましょうと本人が言ってました。あの容姿からするとドラッグで体を蝕むのかなと感じました。70年代なんでしょうけどね。
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アーサーCクラークの「地球幼年期の終わり」を読みました。
傑作だそうです。確かに面白い。ガンダムの元ネタと言われる所以がわかりました。あとエウレカセブンにも似てますねえ。
導入部は1970年代くらいで、米ソのロケット競争が起こっている時代に<上主>が宇宙より到来して、地球連邦が成立し、人類の幼年期は終わると。
後半の人類が飢餓などから解放されて、後退するというのが面白い。
この人類の幼年期の終わり方がなんとも切ないというか激しいというか。人類が滅亡しちゃうわけですから(まあ新たな段階に飛翔したわけですが)。「星(宇宙)は人類向きではない」ということですし。
ニュータイプを選択するか、高度な技術を持っているが、ニュータイプになれない<上主>のどちらが良いかと言われたら、<上主>が良いなと思います。
<上主>には宗教や神秘主義みたいのはのですが、人類にはあった。なぜか?どうして人類の宗教に「悪魔」が存在するのか?それは人間の秘められた能力の一端を証明するものだという説明と、時間はかなり複雑だという話が巧い。
最後の
「自分の目的を助けてくれた人々、あるいは邪魔しようとした人々、すべてをふくめてカレレン(<上主>の地球総督)は、自分がかつてなじんだ人間に対し、手を上げて無言の別れを告げた。」が良いですよ。新たな段階に飛翔し、滅亡する人類を見届けて去っていく姿に哀愁を感じます。
面白い記述(書かれたのは1953年):
21世紀に入り、人類の独自性と芸術と守ろうとする人の意見「毎日500時間にも達するラジオ、テレビ番組が放送されてるんだ。・・・現在、人間一人あたりの平均テレビ視聴時間数はなんと1日平均3時間にもなっていることを、きみはご存知か?」
ちなみにアメリカでは2004年の1日テレビ視聴率は4時間を超えています。
(http://www.asahi.com/culture/enews/RTR200509300049.html)
宇宙人も来てないのに人類はテレビ大好き。
おっと違った
こちらです。図書館にもあります、
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他の微生物を食べる動物の一種、鞭毛(べんもう)虫なのに、藻類の葉緑体を取り込むと捕食装置が退化し、植物として生きる不思議な微生物を岡本典子日本学術振興会特別研究員と井上勲筑波大教授が発見し、14日付の米科学誌サイエンスに発表した。
仮に「ハテナ」と命名されたこの微生物は、植物への進化過程にあり、数千万年後には完全な藻類になる見込みだという。
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前原誠司が京都大学で師事していた人が、高坂正堯だそうです。
この人が書いた1冊に「文明が衰亡するとき」というのがあります。かなり古い本ですがいい本だと思います。ローマ、ヴェネツィア、アメリカと世界帝国の衰亡を描いて、最後に日本の話になっています。
オランダについても書いていてこれが結構いいです。日本を資源のない通商国家として考えています。
まず、各国が重商主義政策をとったことは、権力政治(注:武力など相手を従わせる力を背景にした政治(闘争))を激化させたが、その際、オランダは決して強国とはなれなかった。たとえば、オランダ海軍が英国海軍を圧倒するというようなことは不可能なことであった。次に、経済上でも各国が重商主義政策をとり、オランダに握られていた工業能力を身につけるべく努力するようになると、オランダの優位は小さくなり、逆に資源を持たないというマイナスが出てくる。経済における新工夫は模倣されるが、資源はそうはいかないからである。(中略)イギリスは通商国家に好適な位置にあるとともに、人口と資源(初めは毛織物、後では石炭と鉄鉱石)を持つ国で、ここにいう通商国家をはみ出した存在であり、それ故にこそ国際社会に長く君臨しえたのであった。(262p)
逆に言えば、通商国家には限界がある。そしてそれは当然のことなのである。元来、ヴェネツィアやオランダは、成功すべくして成功したというより、好適な状況に恵まれて、つまり幸運に支えられて、意外にも成功したと言うべき存在だからである。(263p)
ホンジンガは「ほとんどのヨーロッパ諸国における並外れた経済的消極性(重商主義の反対)をオランダの成功の原因としている。(263p)
現代に照らして言えば、中国が共産主義に留まっていたことが、経済的消極性として日本の経済発展に有利に働いたとも読み解けます。
また日米同盟の必要性も説いています:
権力政治から完全に棄権しようとする人は、別種類の激しい権力政治に関わることになる。たとえば、日本が日米安全保障条約をやめて、その地位が不安定になれば、日本の政策の方向づけをめぐる争いが激化する。日米安全保障条約をなくした日本が激しい中ソ対立に直面して、巧く対処できると考えるのは幻想というものであろう。(267p)
最後の文章が特によいのではないかと。
通商国家は異質な文明と広汎な交際を持ち、さまざまな行動原則を巧みに使いわけ、それらをかろうじて調和させて生きる。しかしそうすることは当事者たちに、自信もしくは自己同一性(アイデンティティ)を弱めさせる働きを持つ。自分の大切にするものが何であり、自分が何であるかが徐々に怪しくなる。すなわち道徳的混乱がおこる。しかも、現実レベルでは通商国家が成功する。それ故、人々は成功に酔い。うぬぼれると同時に、狡猾さに自己嫌悪を感ずる。その結果起こるのは、あるいは社会のなかの分裂傾向であり、あるいはより平穏な生き方への復帰を求める傾向であるだろう。前者は通商国家の広くて脆弱なネットワークを瓦解させる。後者は変化への対応を弱める。ヴェネツィアについてイギリス人ディクソンが述べたように、「通商国家はつねに新しい変化に対応する姿勢を持つ」必要があるのだから、変化への対応力の弱まりは日本の衰頽(衰退)ということになる。
これは、前原誠司が改革を求め、憲法改正もありだという論拠の一つではないかと思います。
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押井守が自著の「立喰師列伝」を映画化するそうで、http://event.entertainment.msn.co.jp/eigacom/buzz/050901/08.htm
読んでみました。笑えます。納得します。そしてある意味泣けます。
小説の体裁をとっていません。架空の社会学書を読んでいる感じです。参考図書に赤坂憲雄の「異人論序説」があり、これを偶然読んでいたのである意味良かったです。論法が似ています(引用が多いですがあれは創作でしょう)。
立ち食い屋での無銭飲食を生業とする人々の仕事(「ゴト」)と移り行く戦後を背景に書き綴っていきます。
うる星やつらの「メガネ」とか「温泉マーク」が意味もなくつらつらと雄弁にアジテーションしていたあれの復活です。
シュールに笑えたところをピックアップしてみました。
第一夜「闇市からの出発」
「月に叢雲(むらくも)」と言えば「花に風」と続く・・・・
が、しかし――立ち喰いの世界にあって「月に叢雲」と言えば、それは月見そばにおける生卵と出汁(だし)の温度の相関関係、すなわち非加熱状態の卵黄に適度な温度のダシによって薄膜を成した白身がかかっている、その理想的な出会いを形容する喩、あるいは一種の修辞として用いられた。」
(戦後の食糧難において立ち食い屋は)、全てが代用であり、まがいものの場であった。なればこそ銀二(月見そばを「ゴト」に使う立喰師)はそこに「景色」を求めたのである。・・・・
第ニ夜「国会正門前の女狐」
「立喰以外の店に「ケツネコロッケ」が登場することはなく、コロッケを蕎麦に載せることもない。その変形たる「ケツネコロッケ(これはお銀がゴトに使ったもの)」など論外であろう。なんとなれば、たとえ定食屋と見まごう店であれ、蕎麦こそは神聖不可侵領域なのである。・・・コロッケのような洋食の調理品――それもポテコロイモコロッケの如き安物を載せるなどという暴挙は蕎麦屋の自己否定、自殺行為、人外魔境の地底獣国に他ならない。」
押井は愛犬家なので第三夜「東京オリンピックの悪夢」哭きの犬丸では犬の悲惨な話が出てきます。
後半は小説っぽくなります
牛丼の『予知野屋襲撃』
男はひたすら「並み」を注文しつづけている。そして五〇以上の丼を重ねてなお、飽きることがない。「大盛り」を注文することもなければ、口直しのオシンコも味噌汁も求めない。そのストイシズムの根源に存在するのはある種のプロフェッショナリズムであり、無銭飲食者のノンポリシーな欲望と対極を為すものだった。
第七夜「ディズニーランドの亡霊」 フランクフルトの辰
アメリカンドッグおよびフランクフルトと称される食品は、その食肉加工としての内実が日本の食習慣そのものに適合したがゆえに普及したのでは決してなく、串をつけるというその商品形態――立ち喰い歩き喰い可能な非日常的縁日的食品形態ゆえに普及したのだという事実である。・・・・本質が存在を規定したのではなく、存在が本質を規定した――そうも言い得る。
あるいはもっと端的に「赤いウィンナーが存在したのではない。存在したのはウィンナーの赤だけだったのだ」と情緒的に語ることもできる。
カレースタンドチェーン(ココイチ?)に挑む「中辛のサブ」の場合:
(頭にターバンを巻いたまるでインド人のような、それでいて絶対にインド人ではあり得ない)男が奇妙な発音で、チュカラと呟いた。・・・
瞑目してルウの香りを確かめるや否や、男はカウンターに並び置かれたナプキン巻のスプーンや福神漬け、ラッキョウには目もくれず、ルウを注いだ白飯に右手を突っ込んで掻き混ぜ、器用に捏ねて口に放り込む。
おお、と客がどよめいて店主の顔からさらに血の気が退いた。
これは期待できるのではないかと思います。
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上司も知らない「仕事の仕方」 山崎 裕司 著
この本の主題ともいえる、「仕事は自分を主人公にしてやれ」というのは良い発想だと思います。上司から言われたからやっているという時点で仕事の奴隷になっているわけです。仕事を面白くするには仕事を自分のものにする。何のために今これをしようとしているのかを理解して、重要なポイントを絞り込んでそれに労力を集中すれば効率があがるわけです。
それを実行する上で、作業と仕事の違いを明確にしています。たとえば「洗濯」は作業で、「服をきれいにする」のは仕事です。目的を達成することが仕事であり、それを実現するための作業です。
日本の企業にはニセ社員が多いというのは痛烈ですね。これは作業をしていて仕事をしていない社員だそうです。日本のホワイトカラーは生産性が悪いという話も載せて、警鐘を鳴らしていました。
↓の本で書かれているような富士通の成果主義を導入した失敗とかも、この話に当てはまるかもしれません。
では仕事のできる社員になるにはどうすればいいのか?
一番重要なのは指示された仕事をイメージすることです。明確な作業の仕方をイメージすることで、何が十分で何が不足しているのか事前に理解し、仕事を進める前から予測しておくことです。で、不足しそうなら最初から手を講じておくことができます。
イメージできない仕事は実際にもできませんと著者は断言しています。そうだと思います。
翻訳などもそうで、英語で読んでわかっても日本語で知らないとこなれた翻訳にはなりません。ボスケとが全然わかりませんので、そういう翻訳の時は詳しいヒトに聞きました。ゲームの翻訳もそうです。ゲームのデモムービーとか最初に見ておくことが重要です。これでイメージができます。
実際にイメージを実行に移すために具体的な計画を作るわけですが、これをきちんと作業のレベルまで落とし込むことが重要だとも書いてました。そのために使う表も本には載っていました。軽く読めるのでお勧めです。
山崎 裕司著
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ハリー・ポッター・炎のゴブレット(上)を読んでみました。これは子供には面白いでしょうね。良いと思ったのは、おとぎ話を現代の設定に置き換えながら、子供の願望を具現化している。日本にもあります。そう、
ドラエモン
です。ドラエモンもアジアでは席巻してます。
現代の設定だなあと思ったのが、ワールドカップとか、ゴシップ誌とか魔法の世界にあることでしょうか。子供にもこれは面白いでしょう。イギリスでは箒(ほうき)を使って空を飛ぶけど、中東ではじゅうたんを使って飛ぶそうです。そこでじゅうたんの輸入を認めるようにイギリスに圧力をかけているとか、そういうのは笑えます。
ネタはいい。しかし翻訳はどうなんでしょう。こちらのサイトでも怒っておられる方がいます(http://d.hatena.ne.jp/yukodokidoki/20021029)
少なくとも日本の童話のスタンダードではないように思います。「糞」という言葉が気にかかります。日本昔話なら出てくるでしょうが、グリム童話とかではあまり見ないような。読んだ感じが、早川書房みたいでした。
警察(Policeman)がわからない魔法使いが警察を「慶察」(Pleaseman)と呼ぶというのは、大人しかわからないような。「おまわりさん」と「おかわりさん」でもいいかと。
しかし実際翻訳してみると他に手はないかもしれません。Pleasemanを「おかわりさん」とかすると原文を忠実に訳していないとか読者を怒らせそうです。難しい。もう一つ、
強調するフォントはいいフォントを使え!読みにくい!
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下巻も読み終わりました。下巻の方が面白かったです。内容としては前半で大和は完成し、その後は別の生産についてです。軍令部の無謀な要求とそれに答えようとする現場技術者の奮戦が話の軸になっています。
開戦までアメリカとの戦いになった場合に、日本海軍は「量より質」をもって戦うという思想だったため、一隻の艦艇の能力を最大限引き上げることに心血を注いできました。(ある種、「一点豪華主義」に通じるものがあるでしょう。その最たるものが大和)。
しかし実際戦ってみると、技術の粋を凝らして作った艦船がいとも簡単にやられてしまうわけで、大量生産以外に勝つ道はないという結論に達します。とはいうものの日本海軍にそういった発想は希薄だったので、組織的な改革とかないままに生産側に作れ作れと命じる。
西島亮二などがいなかったら艦船の量産はありえなかったでしょう。
まず量産化を進めたのが商船(輸送船)です。海軍将校の一人が、戦争を槍に喩えると、艦艇は鏃(やじり)で商船が柄だと言っています。商船がなければ槍を突くことはできない。それだけ商船は重要だということです。
確かに開戦直前の御前会議(だったと思います)で、商船不足による資源供給の断絶を憂慮する声があがり、海軍は調査します。その調査には西島が当たりますが、多くの仮定に基づく危ないものであり、仮定が間違っていれば結論が違ってくるという忠告します。にも関わらず海軍軍令部はその数字を精査することなく提出します。まったくダメです。おかげで対米戦が始まるとみるみる商船が不足し(調査に使った商船損失の数字が第一次世界大戦のもので攻撃兵器の高性能化により損失率は高まっていた)、商船の量産を強行することになります。(しかし商船の管轄は海軍ではなく逓信省なので縦割り行政による縄張り争いが起こったりします。)
西島は実物大の立体模型を作って輸送艦の生産性を高めていきます。量産では同じ形状のパーツを多数必要とするので、模型を作っておければそれを雛形に生産できます。あと艦内の装置もあらかじめ模型に合わせて作っておけば、船殻に収められます。そうすれば船殻の建造と同時並行で艦内装備を作れるので、生産スピードが高まります。今なら当たり前そうですが、当時はそうではなかったのです。西島は問題があれば解決策を考える技術者だったそうです。一方、軍令部はとにかく生産側にハッパをかければ生産性があがるという姿勢です。
しかし生産性などまったく考えていなかった日本海軍の生産システムではやはり生産スピードを高めるには労働集約型になるしかなく、労働者は月月火火木金金で働かされ、素人の徴用工も多く、サボってばかりいたそうです。でも女学生はがんばったそうですよ。そうやってがんばる女学生を、監督官の海軍中佐が止めさせたりして、とにかくちぐはぐです。
いくら人海戦術を駆使しても、工業力の高いアメリカとは戦いになりません。そういう試算は開戦前からあったそうですが、担当者がそれを信じられなかったということもあります。堀という技術者の結論:
日本には造兵技術者、航空技術者など多数いたけれども、国防のカギとなるべき総合的な時勢のうごきをながめ、技術と工学と生産工学との発展を分析し、技術と兵術の将来を予測する役割の“軍事技術者”は、ただの一人もいなかったという事実を認識することが、大和、武蔵が残した最大の教訓である」
沖縄に水上特攻する大和の修理を指揮したのも、大和を建造を現場で指揮した西島でした。特攻する大和にはドイツで一緒に勤務した先任参謀の山本裕ニ大佐が乗艦していました。西島が会いに行くと、死を覚悟する山本大佐は「貴様がつくって最後に整備した艦に乗って出撃し、その艦を棺桶とするのはうれしい」と言ったそうです。
本土までアメリカ軍艦隊が迫っている状況では海上兵力など無意味となり、海軍の造船工場までも局地戦闘機や特攻戦闘機を作るようになります。しかしB29の爆撃により関東の武蔵野や中京の工業地帯が壊滅したため、部品の供給も滞り、航空機生産ができなくなります。そして原爆の投下。もう敗戦は確実です。
そんななか堀は「本当に意味のあることに時間を使い、努力を振り向けなければならない」と考え、航空機を生産していた(海軍)第十一航空廠の「自分の周囲の若い技術者たちのサークルで、生産技術の勉強をしようと思い立った」
その最初の勉強会を行うことにしたのが8月15日。皮肉と言えば皮肉である、新しい時代の始まりといえばそうだと思います。
これはあとがきが結論になっています。日本の復興期に造船産業が世界をリードすることになったのは、戦時中に生産性を高めることに必死に尽力した人たちがあればこそという話です。
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読んだのはハードカバーですが、今は新書版もあるようです。
現代の金額にして総工事費1兆円というとんでもない兵器「A140」の誕生物語です。話の軸になるのは、大和の建設指揮を執った西島亮二技術大佐です。この人の斬新な生産方式は戦後のタンカー建設やトヨタの看板生産方式に受け継がれていきます。
設計技術者としては、これが大きかったことを誇るのではなく、これだけ小さくまとめられたことを誇りたいとのことです。よくこれだけのサイズにおさまったということです。それを可能にしたのが艦首の丸みだそうです。とはいえ前代未聞の巨艦であったことは言うまでもありません。
日本は当時20年くらい戦艦を建造していなかったのに、今まで以上に巨大な戦艦を予算内で納期内に作るという偉業を成し遂げた話です。
面白いのは単なる技術論に留まらず、設計などに当たった人たちの群像劇なっているところです。用兵側の要求を設計する側(艦政本部第四部)が受け入れすぎで、とんでもなく脆弱な艦艇を作ってしまったとか、大和には615万本以上のリベットが使われていますが、なぜに溶接ではなくリベットなのかとか、どうして効率の良いディーゼルエンジンじゃなくボイラーなんだとか、その裏には平賀という人の影響があったりという話があります(諸悪の根源ぽいです)。厚さ410ミリの甲鉄を巡らせ不沈艦と言われた大和には構造的な問題があったとか。
あと溶接技術から当時の日本の技術レベルと技術に対する考えた方がわかります(良い意味でも悪い意味でも)。
ただ工数とかわからないと話が見えてこないかもしれません。(これがいい説明かなhttp://itpro.nikkeibp.co.jp/free/NGT/govtech/20050413/159129/index2.shtml)
熱い海戦はありませんが、この大和建設(までの)の話は熱いです。
熱い海戦なら、川又千秋が書いた
がいいかと。
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終戦記念ということで・・・・
宮崎駿氏の戦車漫画「泥まみれの虎」はいい!
オットー・カリウスという戦車兵の自伝を読んで感動した宮崎氏が妄想して描いた全ページ総天然色の漫画。戦争は激しく、悲惨だ。豚さんが主人公なのが、ある意味救いになってます。値段の割りにページ数が少ないのは仕方ないかも。総天然色だし。
説明は面白いですよ。戦車の後ろに兵士が隠れるのは連合軍だけだみたいなことを書いてましたが、パンツァータクティクにも戦車の後ろに兵士が隠れるのは理に適っていないと書いてました。戦車には常に攻撃が集中するからとのこと。それは危ない。
普通のアニメ作家になってしまった宮崎氏の本領が発揮されていると思う。こういうアニメ作ってくださいよ~。(でもトトロはいいよ。)
4号戦車の装甲強化案とかも描いています。これを見てこの人は本物だと確信しました。
雑想ノートにも登場する戦車整備兵ハンスが今度は「ハンスの帰還」になって登場しています。ちと高いですがお勧めです。
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教えてください富野ですって本になりました。(リンク)
しかし良い表紙です。アタタタタ!って感じですよね。これなら買うかも。世界の中心で「教えてください」と叫ぶ。叫んでください好きなだけ!
ガンダムAで連載してるカラー記事です(カラーなんですよね)。これ青少年に受けるのか?とか思いましたが、単行本化しました。
オリジナルの肝でも言っている、日本人の精神構造が60年代からおかしな方向に向かっているという話が、この単行本に収録されているはずです。あの記事見たら日本はやばいよと思います。分裂症の人が描く絵を普通のエリートとかが描くらしいですよ。すべてが宙に浮いてました。あれは読む価値あり。あれが富野神いわく、「(体を動かして)」体でモノを考える」という方向性につながっているのかと。
あと、どこかの酒造屋で働いているアメリカ人女性の話もなんかポジティブでよかったなと。
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今日一日かけてイコン(下)を完読。フォーサイスおそるべし。すばらしいエンターテイメントです。読みたい人はネタバレしますのでコメントに書きます。上巻はちょっとたるいなあと思ってましたが、下巻はすごいすごい。一気にいけます。今回新しいのは敵側の情報提供者「資産(Asset)」を釣り上げるというところかと。あとはコメントで
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「異人論序説」という本を少し読みました。すごいことが書いてありました。
ウガンダでは神々が王にむかって、敵部族がかれとその民を疫病でとり殺そうと呪詛をかけている、と警告することがあった。このとき、災厄をのがれる手段として供犠が執行された。あらかじめ神に定められている“ある種の印、または肉体的欠陥”によって、スケープ・ゴートは識別される。生け贄は王国の外の神が指定した地点まで連れてゆかれ、ひとりの屈強な護衛に四肢を折られる。そうして再びウガンダへは戻ってこれぬような<不具>にされ、そのまま敵地で衰弱死するように放置された。敵の呪詛にもとづく疫病は、こうして生け贄の身に転移され、もと来た国へ運びもどされるとかんがえられた。(p154)
原始社会は幸せでなく、きわめてえぐいなと。
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英語力が落ちてはいけないので、ずっと前に買って読んでなかった、フレデリック・フォーサイスの"FIST OF GOD"を読み始めました。くーぅぅぅ、なまら面白い!北海道弁でますわ!
いまさらサダムフセインの話なんで逆に面白いです。読みたい、寝たくない!でも寝ないと。こういうものを書いてみたいもんです。
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